「第一次世界大戦」は、
1865年から1900年にイギリスを中心に起こった「第二次産業革命による、技術革新」のあとに、勃発しています。
これにより、以前の戦争と違い、兵器が格段に進歩していますので、戦争の規模・戦死者の数がハンパないことになりました。
7千万人以上の軍人が動員され、虐殺を含めた死者数では、戦闘員は900万人以上・非戦闘員は700万人以上といわれています。

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「第一次世界大戦」の対立関係

1914年から1918年まで続いた「第一次世界大戦」は、ドイツ・オーストリアを中心とした同盟国と、イギリス・ロシア帝国・フランスの三国協商の対立を背景に起こりました。
これが、ヨーロッパ全土に波及していき、各国の総力戦となり、人類史上初の「世界大戦」となりました。

「連合国」

イギリス・フランス・ロシア帝国・日本・アメリカ・セルビア・モンテネグロ・ルーマニア・中華民国・イタリア

第一次世界大戦の連合国とは、イギリス・フランス・ロシア帝国の三国協商とその同盟国のことをいいます。

三国協商とは、ドイツ・オーストリア・イタリア(開戦後に、イギリスとロンドン秘密条約を結び脱退)の三国同盟に対抗して、列強間の勢力均衡政策に基づき結ばれた軍事同盟です。

「同盟国」

ドイツ帝国・オーストリア・ブルガリア・オスマン帝国
※開戦時、イタリアは、中立を表明していましたが、1915年にロンドン秘密条約を結び、三国同盟を破棄して、連合国側として参戦しました。

「第一次世界大戦」の原因

多くの兵士・一般人が犠牲となった、第一次世界大戦が勃発した根本的な原因は、ヨーロッパの列強国による、領土・植民地・勢力圏の拡大をめぐる対立からであり、これは帝国主義戦争といえます。

「各地のいざこざ」

1914年にヨーロッパで開戦した、第一次世界大戦ですが、その前の背景を少し説明します。

三国同盟側と三国協商側にわかれて、各地で衝突が起こっていました。

  • バルカン問題
    オスマン帝国が後退したあとの、バルカンの分割をめぐる帝国主義列強の対立です。「ヨーロッパの火薬庫」といわれ、第一次世界大戦の要因の一つとなった。
    これでオーストリア(同盟国側)とセルビア(連合国側)が対立します。
  • ヴィルヘルム2世の世界政策
    ドイツ帝国のヴィルヘルム2世が展開した、イギリス・フランスに対抗して帝国主義的進出を図ろうという第一次世界大戦前の政策です。
    これにより、ドイツの3B政策とイギリスの3C政策が衝突し、2大陣営が形成されます。

「サラエボ事件」

1914年6月28日、オーストリア皇位継承者夫妻が、ボスニアの州都サラエボで、セルビア人に殺害された事件です。第一次世界大戦のきっかけとなりました。

概要

オーストリア皇位継承者暗殺は、プリンツィプという青年が犯人でしたが、彼の背後には「大セルビア主義」を掲げる民族主義団体「黒手組」がいました。
この事件は、ゲルマン民族とスラブ民族の民族的対立感情と、それを利用して帝国主義的勢力拡大を図ろうとしていた、オーストリア・ハンガリー帝国と、ロシア帝国の対立であった、バルカン問題の結果として起こりました。
「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカン半島で、点火された火が、全ヨーロッパに燃え広がり、各列強国が策していた、秘密外交による勢力均衡外交が、破綻する結果となりました。

経緯

ちなみにこの「サラエボ事件」は、オーストリア皇位継承者夫妻が、当時、オーストリアに併合されていた、ボスニアの州都サラエボで軍隊の閲兵をおこなうこととなり、オープンカーに並んで会場に到着したのですが、皇位継承者フランツ=フェルディナントは、妻のもてなしが不十分だと腹を立て、すぐ町から出ていこうと決心します。
しかし、運転手が向きを変えるのを間違えて、車を止めてバックしてしまいます。

その時、ガブリロ= プリンツィプ (19歳のセルビア人・実行犯)は、自分の前で、オーストリア皇位継承者夫妻を乗せた、オープンカーが止まったのに驚きましたが、彼はオープンカーの車体側面に取り付けられた、乗降りを助ける踏板にのり、一発で皇位継承者フランツ=フェルディナントを殺し、二発目で前方座席の護衛を狙いましたが、それてしまい夫人に命中しました。夫人もほとんど即死であったそうです。

背景

ガブリロ= プリンツィプ(19歳)は、セルビアがハプスブルク家に隷属させられている(1878年以来オーストリア・ハンガリー帝国に統治され、1908年併合された)ことに怒りをおぼえて、仲間の6人の高校生と共に、皇位継承者フランツ=フェルディナントを撃とうと決心しました。

民族主義団体「黒手組」のリーダーであるアピスは、皇位継承者フランツ=フェルディナントを殺すより、セルビア政府を困らせようと考えていたました。

「黒手組」のリーダーであるアピスから、粗末な武器を受け取っていた、プリンツィプの仲間は、行進中の皇位継承者フランツ=フェルディナントを狙撃しようとしたが、いずれも失敗し、そして偶然にもプリンツィプの前で「夫妻を乗せたオープンカー」が止まり、彼が実行者となったのです。

第一次世界大戦のきっかけとして、教科書でも習う有名な「サラエボ事件」ですが、こうした偶然が重なり起こったものです。

そして「第一次世界大戦」へと、突入していきます!

今回の記事はここまでにして、続きはまた次回の記事で書きますね。読んでくれたアナタありがとうです。

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