「日韓併合」まで

李氏朝鮮は、1894年の日清戦争以前には、中国の「清」の影響下(冊封体制)にありましたが、日清戦争に日本が勝利したことによって、独立国家「大韓帝国」となりました。
こうして一応の独立をはたしましたが、日本の影響下にはありましたので、それを面白く思わない者たちが、ロシアに接近していきます。
そして日本との対立が深まっていきました。

しかし、1904年に勃発した「日露戦争」で日本が勝利したことによって、大韓帝国へのロシアの影響力を排除し「第一次日韓協約(1904年)」、「第二次日韓協約(1905年)」をへて、日本は大韓帝国から外交権を奪いました。
そして、大韓帝国の内政は、日本によって設置された「韓国統監府」がおこなうことになったので、事実上は日本の保護国となりました。

さらに日本は、日本の統治に反抗的だった皇帝の「高宗」を排除して、傀儡政権である新皇帝「純宗」を擁立しました。
そして「第三次日韓協約(1907年)」、「韓国併ニ関スル条約(1910年)」を締結しました。

こうして、大韓帝国は「日韓併合」によって消滅し、完全に日本の植民地となりました。
これにともない、韓国統監府は「朝鮮総督府」に改名されました。

「韓国統監府」と「朝鮮総督府」の政策

1905年に韓国統監府の初代統監に就任した伊藤博文は、保護国化で充分であり、日韓併合には反対の考えをもっていました(これを裏付けるメモが近年発見されています)。
1907年に伊藤博文は、朝鮮に赴任させる教師たちの前で「徹頭徹尾誠実と、親切とをもって児童を教育し、裏表があってはならないこと」「宗教は韓国民の自由であり、あれこれ評論しないこと」「日本人教師は余暇を用いて朝鮮語を学ぶこと」を訓諭しました。
また、ソウルでおこなった演説でも「日本は韓国を合併するの必要なし。韓国は自治を要す」と新聞記者たちの前で話しています。
しかし、これを面白く思わない朝鮮人もいましたので、1909年10月26日、ハルビン駅で安重根によって、暗殺されました。
この時、伊藤博文は、死の間際に犯人が朝鮮人だったことを知らされ「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」とつぶやいたと言われています。

1909年、つまり「日韓併合」前に、日本の傀儡政権である、韓国統監府が導入したのが「戸籍制度」です。
これによって、李氏朝鮮時代から大韓帝国時代に続いていた、奴隷制度を廃止して、身分解放がおこなわれました。そして、この身分解放によって、奴隷だった子供も等しく教育を受けれるようになったのです。

日本統治時代の朝鮮では、日本国内に沿った学校教育制度がなされました。
初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題としていましたので、暗殺後もその意志は引き継がれ、統治前は100校程度だった小学校を、1943年には4000校以上にまで増やしています。

1910年から1919年にかけては「土地調査事業」に基づいて、土地の所有者を確定させていき、所有者不明の土地や、旧朝鮮王朝の土地は朝鮮総督府が接収して、一部を朝鮮の農民に安価で払い下げるなどの政策をおこないました。
土地の所有者が確定したことで、登記制度の導入もおこなわれ、不動産の売買も安定します。
そして、朝鮮総督府は農地への水防工事、水利工事などの整備をおこないました。
こうして農民は、整備された自分の土地を手に入れたことで、朝鮮王朝時代は荒廃していた農地も、再生されていきます。

「日韓併合」の評価

日韓併合に否定的な意見

李氏朝鮮末期の朝鮮には、近代化や資本主義の「めばえ」が存在していたとする「資本主義萌芽論」では、李氏朝鮮後期には、資本主義のめばえが存在していたが、日本の植民地支配により、芽が摘まれてしまったとされています。(この理論は、1950年代後半に北朝鮮で唱えられ、日本には1960年代に紹介され、1970年代に力を持ちました。韓国には1980年代に日本経由で広まりました。
しかし、その後の実証的研究の進展により否定されてきています。
※1950年代後半の北朝鮮がこの理論の出所ですが、この時期の北朝鮮は「在日朝鮮人の帰還事業(1950年代から1984年)」をはじめた時期です。1960年代には、日本のマスコミも北朝鮮を「地上の楽園」などと、たいした取材もせずに報道していました。

和田春樹(歴史学者・東京大学社会科学研究所名誉教授)
日本が大韓帝国を併合するに当たっての、韓国併合ニ関スル条約は、当初から無効であったとして、日本政府がその無効性を認めるよう求める声明を発表しました。さらに、内閣総理大臣の菅直人に対しては、同条約の無効を、日韓併合100周年に当たる、2010年8月に宣言するよう求めました。

基本的に韓国は「日韓併合に起因するすべての出来事は、日本政府の責任であり、それに対して時効の概念はない」という考え方をしています。
※この考え方が「慰安婦問題」「徴用工問題」へとつながっていきます。慰安婦問題は捏造記事が原因だとしても、このような考え方をしている韓国政府は絶対に方針を変えません。

日韓併合に肯定的な意見

キム・ワンソプ(評論家・作家)
当時の朝鮮は、腐敗した李王朝により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった。
日本による植民地政策がなければ近代化することもなかったであろう。
※こうして韓国における歴史教育を批判しています。これらの言動や著作から、親日派として弾圧を受けています。

イ・ヨンフン(経済史学者・元ソウル大学経済学教授)
大日本帝国の統治が、近代化を促進したと主張し、植民地近代化論を提示しています。
※親日派として糾弾されています。

さいごに

私自身が日本人ですので、ついつい「日韓併合」を日本よりの目線で見てしまいますので、中立に記事を書くのが難しいので、ご気分を悪くされた方がいたら、申し訳なかったです。

確かに「日韓併合」は朝鮮における近代化という面では、良かったのかもしれませんが、それが正しいことか、正しくないことかは、別の話になると思います。
世界のへき地には、近代化など受け入れずに、自分たちの部族だけで掟を守り生活している人々もいますからね。近代化イコール正義という考え方は、少し傲慢な気もします。

つぎに、統監府が導入した「戸籍制度」による、実質的に存在していた「奴隷制度」の廃止ですが、私としては正しいことだと思いますが、内政干渉だとも思います。
この時代は、欧米の列強国による植民地政策が、世界中でおこなわれていた時代です。そんなときに、支配地域で、身分制度を見直したり、教育の充実化をはかったりしたのは、私の価値観では良かったと思いますが、別に隣国が「(今でも頑張って反日教育している)差別国家」だろうが「(韓国の初代大統領李承晩によっておこなわれた保導連盟事件や済州島四・三事件などの)虐殺国家」だろうが放っておけばいいのでは?とも思います。
こういうことに口を挟めば、国家間の揉め事の原因となるからです。

「慰安婦問題」に関しては、経緯からややこしくなるので、ひとまずおいといて「徴用工問題」に関しては、「日韓基本条約」に付随する「日韓請求権協定」で日本側は、個人への賠償をするとしたのを「韓国政府が代表して受け取り自国でおこなう」としたので、解決済みのはずです。
韓国政府は、そのお金をつかって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長をしたのです。それなのに、今さら「もっと金よこせ」とは・・・、ほぼ恐喝ですね。

結局のところ、日本は、ロシアの南下を防ぎたかったのが一番の理由でしょう。それはあの当時、日本からすれば当然の戦略であったと思います。
しかし、朝鮮側は絶対に国家として「日韓併合」の正当性なんて認めるわけないのですから、日本は条約や協定に基づいて、粛々とやっていくだけでしょう(もうしたんですけどね)。

「自分たちは間違っていない」といった正当性の主張は、相手の主張とぶつかるだけなので、不毛のように思います。ただ相手が国際的に訴えかけてるので、それに対してはメンドクサイけど対策は必要だと思いますけどね。

やはり「戦争」はやってはいけないでしょうが「やるからには絶対に勝たないといけない」ということでしょうね。

おすすめの記事