3度の延期をしましたが、2020年1月31日をもって、イギリスは欧州連合(EU)から離脱しました。
よく耳にする、ブレグジットとは「British]と「exit」を合わせた造語です。

この記事では国民投票が実施にされた経緯から、離脱派が国民投票時に掲げた主張などを中心に書いていきます。
離脱交渉、政権交代などは、また別の機会にしておきます。

国民投票にいたった経緯

イギリスは、2016年の6月23日に「EUを離脱・残留」をテーマに国民投票をおこない、結果はご存じのとおり、離脱52%、残留48%となり、離脱が決まりました

これは急に降ってわいた話ではなく、1970年代からイギリス国内では、欧州共同体(EC)についても離脱・残留を政治的テーマとして扱っていました

1993年、マーストリヒト条約下でECはEUとなりました(経済連合から政治連合へ進化した)。この時イギリスは、マーストリヒト条約をまもり、EUに加盟するかどうかを決める国民投票はおこないませんでした。デンマーク・フランス・アイルランドなどは国民投票を実施しています。

こういった背景でのEU加盟以降、イギリスは、EU離脱を公約に掲げた政党(国民投票党やイギリス独立党)が誕生したりしていて、EUからの離脱、もしくは残留は身近なテーマとなっていたのです。

2016年の2月に、議会でのスピーチでキャメロン首相(残留派)は、2016年6月23日に国民投票を実施すると発表しました。これは、2015年12月に実施された世論調査で、EU残留支持が過半数を上回っていたからです。

しかし、結果は離脱派が勝ちましたので、キャメロン首相は「明確な結果が出た以上、私が指導者であることは適切でない」と述べ、7月13日に首相を退任しました。

なぜ離脱したかったのか?

国民投票にともない、超党派で結成されたグループVote Leave(ヴォート・リーブ)が離脱賛成キャンペーンで繰り返してたのが「イギリスがEUを必要とする以上に、EUはイギリスを必要としている」でした。

離脱派が主張した「離脱によるイギリスの利益」

  • 支出削減
    Vote Leaveは、イギリスがEUへ支出している公的予算の額は週あたり約350万ポンド (約4億5千万円)であり、離脱はイギリスが「毎週新しい国民保険サービス病院を建設する」程度の金額を重要なインフラに回すことを可能にすると主張した。
    ウェブサイト上の声明は、「わたしたちはこの金額の半分以下しか回収出来ていない。さらに、(EU本部のある)ブリュッセル(EU本部)が決定し、わたしたちがそれをどのように使うかコントロールすることは出来ない」とした。
  • 経済的利益
    Vote LeaveのCEOマシュー・エリオットは、離脱コストが2020年までに、1000億ポンド(約13兆円)またはGDPの5%に相当する可能性があるとする、英国産業連盟(CBI)の報告を非難し、「産業連盟が離脱後のシナリオをゆがめたとしても、離脱後、雇用と経済が成長し続けることを認めざるを得なくなるだろう。EUの資金提供を受けた産業連盟は、イギリスポンドを廃止して、ユーロに加わるように促した時と同じ恐怖を再現することを願っている。しかし、彼らはその時誤っていた。そして、現在なお彼らは誤りつづけている」と反論した。
    また、IHS Global(グローバルコンサルティング企業)のレポートでは、離脱は長期的にはEUにとっても、プラスの影響を与えると推測した。「EUの長期経済への影響は、離脱によって加盟国の政治的プロセスがより均質なものとなれば、逆説的にEU経済はややプラスになる可能性がある。」
  • 自由貿易
    ロンドン市長ボリス・ジョンソンは、EU離脱により英国の貿易の優位性が高まると主張した。「わたしたちが恐れなければならないのは、恐怖そのものだけだ。大きなチャンスがあると思う。自由貿易をしましょう、わたし達自身を信じましょう」と彼は訴えた。離脱派は、離脱することはイギリスがヨーロッパやその他の国々と新らたな貿易協定を発展させることにつながると主張する。Vote Leaveは、EU加盟下においてイギリスが「自分自身の貿易取引を交渉する」ことを許されていないとした。
  • テロからの保護
    保守党法務大臣ドミニク・ラアブはイギリスがEU内に残ればテロ攻撃の危険にさらされると主張した。ラアブは、EU内に留まることは国に「リスクを輸入する」ようなものだとした上で、「彼らはヨーロッパに戻り、ギリシャからスウェーデンまでを自由に旅することができる。これは、明らかにパリのテロ攻撃容疑者の行動と組織化をうながす要因となった・・・国境のなさが容疑者の行動をどの程度容易にしたかを正確に評価するのは時期尚早である。しかし、国境に対する国家統制を取り戻すことが、イギリスを将来のテロ攻撃から守るための貴重な防御ツールになることは間違いない」と述べた。
  • 国民保険サービスの保護
    元労働外務大臣デイヴィッド・オーウェンは、離脱により国民保険サービス(NHS)の統制を取り戻し、「外部の競争から保護する」ことが可能になると主張した。「1992年以降のEU は、1975年の古いヨーロッパ共同体とは対照的に、わたしたちの生活の隅々にまで忍び込んでくる。今やNHSにまで侵入しつつあり、国民投票ではそれを追い出す一生に一度の機会を得ることができる。」
    さらにオーウェン卿は「今こそ、EUの支配からイギリスを取り戻し、将来の世代のためにわたしたちの国民保険サービスを守るべき時だ。わたしたちはVote Leaveを承認する。国民保険サービスの現在の市場化に対する政治的見解が何であれ、その決定は将来的にはイギリス議会と政権が取るべきである」と主張した。

投票分析

エコノミストのトーマ・サンプトンによれば、「年配者と教育水準の低い有権者が「離脱」に投票した可能性が高い。また白人有権者の大多数が離脱を望んだが、アジア人有権者の33%と黒人有権者の27%のみが離脱を選んだ。投票に性差による違いはなく、男女ともに52%が離脱に投票した。離脱は特定の政治的領域を超えた支持を得た。これは有権者が社会的に保守寄りの政治的信念を持ち、コスモポリタニズムに反対し、EUがイギリス人の生活を改善するよりも悪化させていると考えていたことと関連している」と分析を加えました。

計量経済学研究は、第一に「教育」と程度はより少ないが「年齢」が投票行動の最も強い人口統計学的予測因子だった…第二に「個人」または地域レベルでの貧弱な経済は離脱への投票に関連していた…第三に主張では離脱の支持は「移民への反対」と強く関連しているとされるが、実際、移民とは関連していないとしました。

EUとの交渉(ここからは砕いて、駆け足でいきます)

EUとの交渉は、キャメロン首相が退任しましたので、後任のテリーザ・メイ首相がおこないました。

2016年のイギリスの国民投票の結果をうけて、ドイツのメルケル首相や、EUの元首に相当するドナルド・トゥスク欧州理事会議長が「イギリスが商品、資本、サービス、労働の4つの自由な移動を受け入れた場合にのみ、欧州単一市場(ESM)に留まることができる」と述べ、先制パンチをくらわせました。

この後も、交渉は超難航します。理由を一言でいうと「イギリスがワガママばかり言うから」です。

EUはイギリスに対して、強気の姿勢を崩しませんし、イギリスとしては「合意なき離脱」を阻止する必要があったためです。

「合意なき離脱」とは、離脱後のルール決めをせずに、離脱することをさしてます。
EUとイギリスの双方の合意を、何も設けることなく単純に離脱してしまうと、合意が何も無いのだから、EUから見れば、イギリスというのは、ただの「非EU国」という扱いをしてよい、他の世界中の無数の「非EU国」と同等の扱いをしてよい、ということになります。
そうなればイギリスは、EU加盟国が形成する欧州の単一市場や、関税同盟からすっかり外れ、EUとの間で人や商品の移動も制限され、社会活動や経済活動に少なからぬ悪影響が生じることになります。

イギリス議会は、メイ首相に「イギリスに有利な条件(都合の良い条件のこと)で、交渉しろ!」っていいます。
EUは、メイ首相に「早くこっちが飲める、離脱案をだせ!」って期限を決めて迫ってきます。

こんな板挟み状態が続き、ついにメイ首相は辞任してしまいました。

そして、後任として2019年7月24日、ボリス・ジョンソンが首相となります。
ボリス・ジョンソンというのは、オックスフォード大学出身の元ジャーナリスト。「タイムズ」時代は、記事のでっち上げでクビになり、「デイリー・テレグラフ」時代は、反EC色の強い記事を書き続け、欧州懐疑派の代表格として知られるようになっていきました。
当時のジョンソンをしる記者は「彼の記事は、ECの信用を貶めるために、誇張や捏造があった」と述べています。
それでも毒舌は人気を誇り、政界入りをはたします。庶民院議員を2期務め、ロンドン市長も務めています。

そんな、離脱したくて、したくて、しかたのないジョンソン首相でもイギリス議会を相手に、少々苦労します(暴言吐いたり、離脱反対派を抑えるために議会を閉会したりなど)。それでもなんとか、2019年12月に解散総選挙をおこない、圧勝します。
この圧勝によって、EU離脱関連法案を上院・下院で承認させることに成功しました。

ついに、2020年1月24日、イギリスとEUの両首脳はEU離脱協定に署名しました。

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