共産主義とは
共産主義というのは、英語の「Communism」の訳で、語源はラテン語の「communis(共同の、共有の意)」からきています。
この共産主義といわれているものの一般的な定義は、「私有財産制を廃止して、全財産を社会全体の共有にしようとする思想または運動」です。
共産主義が掲げている社会の理想像では、労働者は誰にも支配されず、自主的に労働に励み、平等で十分な配給を受けることができるとされているため、他者との争いや競争は無くなり、犯罪行為なども減少するとされています。
そして、この理想郷を実現するためには、共産主義によって運営される「国家」が必要だとされ、こうして理想の共産主義社会を目指して運営されている国家が「社会主義国家」ということになるはずなのですが、そうはなっていません。
もともと共産主義という考え方が広まっていったのは、ヨーロッパを中心とした産業革命の時代にさかのぼります。
この時代は、たくさんの農民たちが工場の労働者となりましたが、当時はこうした労働者を守る法律など存在していなかったため、賃金は安く、労働環境も酷い状態でした。
このように資本主義が台頭しはじめ、資本家と労働者のあいだでの貧富の差が拡大していき、これは「搾取する側とされる側」という、対立構造を生み出すことになります。
マルクスの「資本論」
資本主義が台頭していく時代のなかで現れたのが「カール・マルクス」という、ドイツ出身の哲学者です。
マルクスは、社会主義および労働運動に強い影響を与えた人物で、フリードリヒ・エンゲルス(ドイツ出身の思想家で『空想から科学へ』の著者)と協力して、包括的な世界観および革命思想として「科学的社会主義(マルクス主義)」を打ちたて、資本主義の高度な発展により社会主義・共産主義社会が到来する必然性を説きました。
そしてマルクスは、資本主義社会の研究をライフワークとし「資本論」という、世界中に影響を与えることになる本を書き(悪影響ともいわれていますが)、その理論に基づいた経済学体系は「マルクス経済学」と呼ばれることになっていきます。
「資本論」は、3部構成となっていて、第1部では「資本の生産過程」、第2部では「資本の流通過程」、第3部では「資本主義的生産の総過程」というテーマで考察がされています。
尚、第1部はマルクス自身によって発行されていますが、第2部と第3部はマルクスの死後、発表前の原稿をもとに、フリードリヒ・エンゲルスが編集をして発行しています。
この、社会主義や共産主義に多大な影響を与えた「資本論」や、それに基づいた「マルクス経済学」では、「労働価値説(人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論)」の立場で語られているため、「剰余価値」という考え方がかなめとなってきます。
「剰余価値」とは、マルクス経済学における基本概念で、生活に必要な労働を超えた剰余労働(不払労働)が対象化された価値を指しており、例を挙げますと「労働者は1日に5万円の価値を生産したとします。労働者へは賃金として1万円支払われ、資本家は4万円を取得したとします」この場合、賃金を超えて労働者が生み出した4万円が「剰余価値」となります。
「資本論」では、商品について考察するところからスタートしています。
そしてマルクスによりますと、労働者の労働力もまた商品(労働力の商品化)であり、労働力と交換されるものが「賃金」ということになり、この賃金は労働者が働けるように最低限の衣食住の費用のみが支払われ、つまり、労働者の1ヵ月の給料とは、次の1ヵ月を働くために生きつなぐだけの生活費ということになり、そのため労働者は働き続けなければならないというようになっています。
そして、労働者が1日生活するのに必要な労働時間を「必要労働時間」と呼び、これだけでは労働者が生きていけるだけで、資本家が儲からないため、資本家は労働者を多めに働かせて「剰余価値」を生み出し「搾取」をしているという考え方になっています。
「資本論」では、商品について考察するところからスタートしているとしましたが、この「商品」には「使用価値」と「交換価値」という2つの価値があり、こうした商品の価値を生み出しているのは、(マルクスによれば)それは商品をつくるための労働の量ということになります。
例えば、バッグ1つをつくるのに社会全体で平均4時間かかった場合、その4時間という労働時間がバッグ1つの価値になるため、商品価値は労働量によって決まるということです。
そして、こうして出来た「商品」は、他者(社会)から必要とされることで、それに応じた金額やモノとつり合いが取れているのですが、労働者が資本家に提供している「労働力」だけは、つり合いが取れていないとしています。
こうした「賃金と労働力だけは等価交換ではない」という考え方や、「労働者はつねに搾取されている」という指摘から、社会構造の変革が叫ばれるようになり、革命などの行動に繋がっていくことになります。
また、歴史研究もしていたマルクスは、「一定の成熟の段階に達すれば、特定の歴史的形態は脱ぎ捨てられ、より高い形態に席を譲る」と説き、資本主義が未来においてどうなっていくのかを予測しました。
そしてマルクスは、資本主義打倒を正当化するために、人間の社会および歴史には法則があるという主張をします。
この主張では、資本主義社会での労働者と資本家という搾取の関係は、狩猟採集時代の食料の採集関係や、封建制での領主と農奴の関係と同列で語られ、生産関係に矛盾が生まれると、そこから「階級闘争」によって次の段階に発展するとされました。
「マルクス・レーニン主義」の与えた影響
マルクスは、過去の対立軸(関係性)として「専制君主制と奴隷」や「封建制度と農奴」を資本主義に落とし込み「資本家(ブルジョワ)VS労働者(プロレタリア)」という構図で対立を煽り、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」と訴えたのです。
こうした理論を取り込み、触発されて起こったのが、ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党から分裂した左派の一派)の指導者ウラジーミル・レーニンによる「ロシア革命」です。
そしてロシア革命の指導理念としてレーニンが案出し、レーニンの死後、ヨシフ・スターリンによって提唱され、定式化されたのが「マルクス・レーニン主義」という思想です。
「マルクス・レーニン主義」という思想は、世界中で起こった社会主義・共産主義革命に多大な影響を与えることになり、毛沢東による「毛沢東思想」や、キューバのカストロによる「カストロ主義」などへの発展もされていきます。
日本の左翼組織と立憲民主党
日本共産党もこうした「マルクス・レーニン主義」の影響をもちろん受けていますし、1960年から1970年にかけて盛り上がった「学生運動」にも、そうした思想が背景にありました。
「学生運動」として有名な「安保闘争」や「全共闘運動」などは、日本の左翼や新左翼と呼ばれた反政府組織が煽って拡大させたものですし、この時期に勢力を拡大させた「中核派」や「革マル派」も「マルクス・レーニン主義」をもとに、独自の解釈や主張をプラスさせています。
ちなみに「革マル派」とは「中核派」から分裂した組織であり、途中からは反政府運動よりも、左翼組織同士での「内ゲバ(内部抗争)」が激化していったため、お互い弱体化しましたが、「革マル派」はJRの労働組合である「JR総連」や「JR東労組」に浸透していき、(現在では弱まってきているとは言われていますが)その影響力を行使し続けています。
そして「JR総連」や「JR東労組」という組織に「革マル派」が浸透していることは、日本政府はもちろんですが、警察や公安も認識していますし、JRの2大労働組合の一つである「JR連合」は、ホームページ上で「JR総連」と「革マル派」の関係性を糾弾しています。
このように「JR総連」という組織が、反政府組織である「革マル派」の影響下にあるのは、公然と言えるにもかかわらず、立憲民主党代表の枝野幸男と、立憲民主党の最高顧問である菅直人は、この労働組合から献金を受けていたことが指摘されています。