よくテレビやスマホのニュースでも「パレスチナ問題」って耳にしますよね。他のワードでいえば、ガザ地区がどうとかこうとか、ヨルダン川西岸がどうとか、エルサレム首都宣言とか、これってパレスチナ問題(総称)の一部についての事柄なんです。
もちろんパレスチナ以外の周辺国にも密接に関わっている問題であり、たびたび国際ニュースを騒がしてます。しかしはっきり言いまして、イスラエルとパレスチナを含む中東の周辺国以外には、この問題を解決させる気なんてないでしょうし、解決なんて無理なんです。

では、なぜこの問題が起こったのか?
簡単に言うと答えは、イギリスのせいです。もう少し言うとイギリスの三枚舌外交のせいです。

三枚舌外交とは?

第一次世界大戦(1914-1918)の時に、イギリスがおこなった外交政策です。イギリスがオスマン帝国(現在のトルコを含む大帝国)を倒したかった為に、矛盾する3つの外交政策を打ち出します。

  1. フサイン・マクマホン協定(1915年)
    これはイギリスとアラブ人のあいだで結ばれた協定です。簡潔に言うと、当時のアラブ人はオスマン帝国の支配下にあったのですが、オスマン帝国に反乱を起こしてくれたら、戦争終結後にアラブ人の独立をイギリスが支持するよって内容でした。
  2. サイクス・ピコ協定(1916年)
    これはイギリス・フランス・ロシアという大国間で結ばれた協定です。戦争で協力するかわりに、戦後は広大なオスマン帝国の領地を三国でわけわけしよう!っていう、すでに1のフサイン・マクマホン協定と矛盾するわけのわからない協定です。
  3. バルフォア宣言(1917年)
    パレスチナにユダヤ人居住区を建設して、ユダヤ人の安住できる国を建国しよう!っていうシオニズム運動に、イギリスが賛同する旨を伝えました。これは長引く戦争で出費がかさんでいたイギリスがユダヤ人からの財政支援をうけるためです。

結局は、1のフサイン・マクマホン協定は、ほぼ無視! 2のサイクス・ピコ協定はロシア革命が起こったせいでご破算! 3のバルフォア宣言だけは残って、現在のイスラエル・パレスチナ問題へとつながっていきます。

世間にはいろんな見方(解釈)をする学者さんがいますので、イギリスの三枚舌外交に矛盾はなかったと言う学者さんもおられます。だいたいそういう学者さんの言い分は

  • アラブ人の独立については、オスマン帝国の支配下から脱却し、イギリス・フランスの管理下の方が民主主義が重んじられるので、一応の独立と言える!
  • イギリスがバルフォア宣言に賛同したのは、あくまでも居住区の建設までである!

ってな感じです。少々無理がありますよね。自国に置き換えて考えてみると、日本に周辺国の方々がそれなりの広さの居住区を作って、大量に押し寄せて来たら困るでしょ。

シオニズム運動とは

たまに領土主義とかに訳されてますが、それじゃあピンとこないですよね。シオンとはイスラエルのエルサレム地方の歴史的地名(約3500年前)です。ようするにエルサレム周辺の土地はもともとユダヤ人の約束の地だったのだから、そこに戻って建国しよう!って運動です。

それから時は流れ第二次世界大戦に突入すると、ユダヤ人への迫害はより酷くなっていきます。ナチスドイツがおこなった大量虐殺は有名ですよね。このせいもあって戦後ヨーロッパにいた多くのユダヤ人が難民となり、ユダヤ人による民族国家建設への要望がピークをむかえます。

そして1948年にイギリス軍が撤退し、イスラエル共和国が独立を宣言します。ソッコーで承認したのがアメリカでした。在米ユダヤ人のロビー活動によって、アメリカが国連にも働きかけてパレスチナ分割決議を承認させました。世界大戦で世界中が疲弊しきっていましたので、財政援助打ち切りをちらつかせながら承認させたとも言われています。

ちなみにこの時イギリスは、統治していたパレスチナへ10万人のユダヤ人難民の受け入れを無視して(要請したのはアメリカ)、1万5千人だけ受け入れたのですが、この処置にユダヤ人がブチ切れて反英闘争を激化させます。それで困ったちゃんになってしまったイギリスは国連に丸投げして撤退しちゃいました。そして独立宣言へと続きました。

中東戦争勃発

1948年5月14日にイスラエルが独立宣言し、翌15日に周辺アラブ諸国軍(エジプト・サウジアラビア・イラク・トランスヨルダン・シリア・レバノン)がパレスチナに進軍して、パレスチナ人側に立ち、イスラエルと戦争を開始しました。

  • 第一次中東戦争(1948年)
    イスラエル軍(3万弱)対アラブ連合軍(15万以上)でやりあいましたが、アラブ連合軍は士気も低く、足並みも揃わず負けちゃいます。そして国連が決めた分割地よりも、広い領土をイスラエルが手に入れます。
  • 第二次中東戦争(1956年)
    スエズ戦争とも言われます。イギリス・アメリカがナイル川のダム建設を中止したため、エジプトが対抗処置としてスエズ運河の国有化を宣言!これにスエズ運河を石油などの貿易ルートとして利用していたイギリス・フランスが怒りイスラエルを支援してエジプトとの戦争を煽動しました。
    この戦争はあまりにもバックの大国のエゴが出てたため、国際的に非難が沸き上がり、国連が仲裁し、停戦しました。
  • 第三次中東戦争(1967年)
    これが有名な六日戦争です。シリア領のゴラン高原にユダヤ人入植地を建設しようとしていた、イスラエルと周辺アラブ諸国で緊張が高まっていたときに、イスラエルがまさかの先制攻撃に出ました。エジプト・シリア・イラク・ヨルダンの空軍基地奇襲し、緒戦で400機以上の軍用航空機を破壊しました。
    この戦争でイスラエルは、旧パレスチナ地区をすべて支配下におき、戦争前と比べて領土を約4倍に広げました。
    ちなみに国連は最初の分割案以上の領土は認めてないので、日本の地図ではイスラエル支配下のヨルダン川西岸やゴラン高原はヨルダンやシリアの領土として表示されています。
  • 第四次中東戦争(1973年)
    エジプトが前回のカリを返すために、シリアと組んでイスラエルに先制攻撃を仕掛けました。奇襲は成功し、エジプトが優勢に進めてましたが、イスラエルが最終的に盛り返し両者痛み分けで決着しました。
    この戦争がきっかけで第一次オイルショックが起こっています。

その後エジプトが反イスラエル路線をやめて、単独でイスラエルと合意を結びます(キャンプ・デービッド合意)。するとアラブの盟主であるエジプトを失ってしまったアラブ諸国は、連携が崩れてしまいガチでイスラエルと戦争できなくなりました。

最後に

あなたはどう思いましたか?

僕は、西側諸国がよその土地に土足で踏み込みすぎたり、自分たちの都合の良いように何でも解決させようとした結果だと思います。
こういうネタを書くと左派よりのように思われるかもしれませんが、全く違いますよ。どっちかというと保守だと思っています。

単純に史実をみて思うのは・・・

  • 3500年前の土地に対して「俺の土地だ」って言って戻れる権利があるならば、アメリカはネイティブアメリカンに土地を返すのか? 返さないでしょ!
  • 中東戦争の結果から正規軍での戦いでは勝てないからテロのはしるのではないでしょうか?そりゃ弱者が強者に挑むのに正々堂々とか言ってられません。
    それに僕らから見たらテロでも、反対から見れば聖戦って呼ばれてますしね。
  • イギリスは太平洋戦争前の日英同盟破棄やユーロ脱退など、いつまでワガママし放題でいるつもりなのでしょうか?
  • イスラエルのユダヤ人は、自分たちがホロコースト(大量虐殺)を受けた立場なのに、なぜパレスチナ人に対して同じように虐殺をおこなうのか?こんなん無茶苦茶ですし、しっかり報道でも取り上げてもらいたいです。

ながながと書きましたが今回はこのへんでやめておきます。感想などあればコメント欄へどうぞ!

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