保守系の立場をとっている人たちから、絶大な不評をかっている「辻元清美」とは?
国会で総理大臣に呼びかけるときに「ソーリー、ソーリー」という、独特のイントネーションでお馴染みの方ですが、自民党支持者からすれば「なぜ、選挙で通るのか?」と不思議に思っている方たちも多いと思います。
辻元清美議員の略歴
辻元議員は奈良県生まれですが、育ったのは、現在の選挙区でもある大阪府高槻市です。
高校は、プロ棋士の藤井聡太さんが通っていることでも有名な、名古屋大学教育学部附属高校を卒業し、大学は、早稲田大学教育学部を卒業しています。
そして大学在学中には、中韓から「歴史認識問題」や「歴史歪曲問題」と非難された「歴史教科書問題」が起こったことに影響をうけ、海外と日本の交流を目的に「ピースボート」を設立しています。
1996年には、社会民主党(旧日本社会党)党首土井たか子からの誘いを受け、衆議院選挙に比例近畿ブロック単独で出馬し、初当選をはたしました。
しかし、2002年に「辻元清美秘書給与流用事件」と呼ばれる、詐欺事件が発覚後、衆議院議員を辞職し、土井たか子党首の元秘書らとともに逮捕され、懲役2年執行猶予5年の有罪判決をうけています。
警察による取り調べや、裁判中の報道を通じて、辻元議員が関係者などと、口裏合わせをおこない隠ぺい工作をおこなっていたことが、明らかになっていきましたが、左派の論客やジャーナリストからは、「逃亡や証拠隠滅の動きがないのに、逮捕するのはおかしい」とか「他にも同様のことをやっている議員がいる」といった批判がでました。
そして辻元議員自身も「私の事件、メディアによる2次被害、3次被害みたいなのを、今もやられてるからね」と述べ、自身を本件における被害者でもあるかのような発言をし、物議をかもしました。
2005年の衆議院選挙では、比例近畿ブロックで当選し、政界復帰をはたし、2009年の衆議院選挙では、大阪10区での当選をはたし、同年9月に発足した「鳩山連立政権」では国交副大臣となっています。
2010年には、沖縄県の「普天間基地移設問題」が発生し、この問題のもつれから、辻元議員は社民党を離党し、民主党へ入党しました。
このときに辻元議員は「地獄への道は善意で舗装されている、という言葉があるように、正しい選択が正しい結果を導くとは限らんやろ」と述べ、主張を曲げてでも政権政党に残る、自身の選択の正当性を語りました。
辻元議員の発言
皇室にたいして
「生理的に嫌だと思わない?ああいう人達というか、ああいうシステム、ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」
「天皇(の存在)っていうのも、日本がいやだというひとつの理由でしょ。」
1986年のパレードにたいしては、「ものすごく気持ち悪い。」
戦後直ぐに、責任者として追求すべきだったか?の問いにたいしては、「これはもう、悪の根源。」
などと、感情のままヘイトスピーチのように述べています。
拉致問題にたいして
「北朝鮮との国交正常化のなかでは、戦後補償が出てくるでしょう。日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに、9人、10人返せ!ばかり言ってもフェアではない」
辻元議員は、土井たか子の秘蔵っ子と呼ばれていましたし、土井たか子は「拉致など日本の妄言」と主張していましたから、こんな「トンデモ発言」がでてくるのでしょうね。
日本の経済発展について
「留学生の受け入れを活発にするほか途上国やアジアの言うことを聞くというところに軸足を置く。日本は小国でいいと思っているんです。先進国グループから離脱した方がいい。」
「日本は地政学的に大国になり得ない。現在も虚勢を張っている小国に過ぎない。」
などと、述べており、日本の国会議員ではありますが、日本を経済的に発展させ、日本人の暮らしを豊かにしていこう、といった気持ちは、皆無のようです。
いわゆる従軍慰安婦問題について
「従軍慰安婦問題を日本政府が「国民基金」で解決しようとしたことを反省する必要がある」
安倍総理が河野談話の見直しを検討していることにたいしては、「総理自身が不名誉を作っている。外交問題として今後深刻化していく」
と、述べていますし、憲法9条を守ることについて言及したときには、韓国の「金大中も9条守ってほしい」と述べているという、いったいどこの国の議員なのか?とも思える発言をしています。
生コン業界からの支援
立憲民主党の辻元清美幹事長代行が、代表を務めた政党支部で、2016年の政治資金収支報告をめぐって不明瞭な会計処理をしていたことが報じられています。
そこで名前の挙がった関西生コンは、辻元清美衆議院議員と福島瑞穂参議院議員を支援しているとされています。
そして同団体の組員は、日本と北朝鮮の国交正常化の早期実現を求める訪朝団「日朝友好なにわの翼」の一員として、2013年に訪朝していたことが、朝鮮日報によって報じられました。
関西生コンの執行委員長の武健一は「生コン業界のドン」と呼ばれる人物で、2004年には、組合への加入を断った生コン会社に、街宣車で乗りつけたり、関西生コン支部の資金数十億円を知人の会社に勝手に貸し付けたりなどで、懲役1年8ヶ月の実刑判決をうけています。
さらに、2005年には「政治資金規正法」の容疑で逮捕され、2006年には、刑務官を買収した「収賄」の容疑で逮捕されています。
現在は、2018年の「恐喝容疑」にはじまり、その後の捜査で「威力業務妨害」などで再逮捕され、起訴されていて、裁判による結果待ちの状態です。
武健一は、辻元議員から「大阪のお父ちゃん」と呼ばれるほどの間柄にあります。
そして、武健一が持つ永田町への影響力については「支援を受けている議員は、武がやってくる日はどんな用事があっても、キャンセルしてやってきます。それくらい、手厚い支援を受けられるから」と報じられています。
なぜ、辻元議員は当選するのか?
高槻方式
1970年代前半から1990年代中頃にかけて、北大阪を中心とした地域で「高槻方式(地元集中)」という、進学校を希望する中学生を、進学校ではない「地元の公立高校」に行かせるという運動がおこなわれていました。
この運動は、同地域の(共産党の支持層が多いといわれている)教育委員会が「15の春を泣かすな」とのスローガンの下、受験戦争を否定し、地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消することを目的に実施しました。
この運動により、進路指導は「同じ中学の生徒はみんな同じ地元の公立高校へ」という理念に基づいておこなわれ、学校教師による事実上の強制により、中学校のクラス全員を地元高校へ進学させることもありました。
地元の高校に合格できる成績にもかかわらず、それ以外の高校への進学意向を明らかにすると、ホームルームや学年集会の場で「皆を裏切って〇〇高校(進学校や私立高)を受験します」と、皆の前でさらし者にされたり、糾弾にも近い形で、槍玉にされることが日常茶飯事であったそうです。
そして、学校によっては、進学校への受験を希望する、生徒やその両親との懇談時には、内申書を開示しないなどの不正な進路指導もおこなわれていました。
2020年現在で、同地域の40歳ぐらいから65歳ぐらいの方々は、今から考えると異常とも思えるような、平等思想に沿った教育がなされています。
このような背景が、辻元議員が小選挙区で勝てる要因のひとつではないでしょうか。
そして、辻元清美さん自身は、高校は地元を離れて、名古屋にある国立の進学校へ入学しています。
このあたりにも、エリート意識の強い高度な教育を受けた者が、庶民には平等の名のもとに「抑圧を強いる」という、左派思想の方たちが好きそうな構図ができていますね。
さいごに
今回は、辻元議員についての記事でしたので、(相対的に辻元議員と比べて)右寄り目線での記事になりましたが、右派、左派、保守、革新など、色々ありますが、どの思想にしても、振り切りすぎてるのは、いかがなものかと思います。
振り切った極端な考え方を示すことで、注目されて、ある一定数の支持は獲得できるのでしょうが、それでは国民を分断するだけで、より良い国家へと導くであろう政治家には、程遠くなるのではないでしょうか。
かと言って、バランス感覚のみに長けた、日和見主義ばかりが政治家になっても、国家は混乱するかもしれません。
結局は、極端な思想を前面にだしている方たちは、対局する方たちから批判されるのは、致し方ないということですね。
それでは、今回は記事は、ここでおしまいにします。