故・横田滋氏の遺族会見

2020年6月5日、拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんがお亡くなりになりました。

そして6月9日に、東京・永田町の議員会館で、故・横田滋氏の妻である早紀江さん(84歳)と、双子の息子、拓也さん(51歳)と哲也さん(51)が出席した記者会見がおこなわれました。

この記者会見の映像は、各テレビ局のニュース番組で取り上げられていましたが、それはマスコミが批判されている部分を切り取ったものになっていました。

妻の早紀江さんが滋さんについて「ぼくとつな人で、器用ではなかった。病床でも愚痴を言わず、弱音を吐かない強い人だった」というコメントや、「(拉致問題解決に)全身全霊打ち込んで、頑張ったと思っています。本当に安らかに、静かないい顔で天国に引き上げられました」というコメントは、伝えられていましたが、息子さんたちのコメントでは違ったようです。

北朝鮮に拉致されためぐみさんの弟である拓也さんは、滋さんをすごい人だと神格化するようなエピソードを引き出そうとするマスコミからの質問に対して「そうではない」と答え、「娘が理不尽にも連れ去られた人の親であれば、誰だって同じことをしていたはずだし、これは横田家の問題ではなく、日本の家族の誰しもがこうなった可能性があることで、誰にも同じようなリスクがあった。自分事にして考えてください」、「私個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。どうして、これほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかと不思議でなりません。国際社会がもっと北朝鮮に強い制裁を科して、この問題解決を図ることを期待したい」と話していましたが、あまり取り上げられていなかったように見受けられました。

そしてもう一人の弟である哲也さんは、「拉致問題が解決しないことについて、ジャーナリストやメディアの方々の『安倍晋三首相は何をやっているんだ』という発言を耳にする」「安倍政権が問題なのではなく、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮が拉致なんかしているはずない』と言ってきたメディアがあったから安倍政権が苦しんでいる」、「安倍首相は動いてくださっている。何もやっていない方が政権批判するのは卑怯だ。的を射ていない発言をするのは、やめてほしい」と発言しましたが、ほとんどのニュース番組が、この政権擁護で、マスコミ批判ともとれる発言を無視していました。

立憲民主党の有田芳生議員の反応と人物像

この発言にたいして反応をみせた立憲民主党の有田芳生参院議員は、自身のツイッターで9日夜「横田滋さんが『絶対に言ってはいけない』と基本にしていたことを息子さんが破りました。被害者家族の政治的発言は北朝鮮を挑発するだけです。これで日朝交渉は重ねて動きません。残念です」という、被害者の家族に向かって発言を慎めと非難しているようにも受け取れる発信を国会議員という立場でおこなっています。

この有田芳生という人物は、オウム真理教の事件で江川紹子らとともに脚光を浴び、有名になった元ジャーナリストなのですが、実父は京都の共産党の幹部で、有田芳生の「よしふ」という名前は、ソビエト連邦を率いたヨシフ・スターリンにちなんで名づけられています。
そして自身も18歳で共産党に入党しましたが、38歳のときに党規律違反を犯し、共産党を除籍処分になりました。
その後は、テレビでコメンテーターとして活躍したこともあって政界へ入り、現在は立憲民主党の国会議員をしていますが、ツイッターでたびたび炎上騒ぎをおこしています。

その一例としては、有田自身は右派によるヘイトスピーチを糾弾しているのですが、ヘイトスピーチ擁護派の誹謗ツイートにたいして「ネットでわき寄ってくるゴキブリもどきは放し飼いを基本としている。時間ができたので久しぶりに「ホイホイ」を覗いたら、相変わらず断片言葉で精神の核がない。たまには駆除するかな」とツイートし、これにはヘイトスピーチ擁護派だけでなく、一般の人々たちから、「人をゴキブリ扱いするとは、公人としてあるまじき発言。自らの主張に泥を塗る発言だ」として、非難が集中していましたし、ヘイトスピーチを批判している人物が、ヘイトスピーチ的な発言をするという、ダブルスタンダードを用いる人物であるということを証明してしまいました。

極めつけに有田は、拉致被害者全員を返せという意思表示の意味が込められた「ブルーリボンバッジ」にたいしては、不愉快という発言までしています。

拉致問題初期の対応

北朝鮮による日本人の拉致は、1970年代後半を中心に実行されていたのですが、この時期の日本は、革命思想を掲げる極左が活発に事件(成田空港管制塔占拠事件など)を起こしていた時期であったため、公安や警察組織の人員が「なぞの失踪事件」にさけていなかったとも言われています。

産経新聞

1980年1月7日、公安からのちょっとしたリークをきっかけに産経新聞の記者が独自取材をおこない、いったんは編集幹部の判断でボツにされながらも、さらに取材を続けて「アベック3組ナゾの蒸発、外国情報機関が関与?」というタイトルで、日本のマスメディアとしてはじめて拉致事件の報道をしました。

こうした産経新聞のスクープが報じられたあとも、各種メディアは情報を持ってなかったこともあるのでしょうが、ダンマリをしてしまいました。
しかし、1987年に「大韓航空機爆破事件」が起こり、その後にはキム・ヒョンヒが逮捕され、拉致した日本人から日本語教育を受けていたという証言から、日本の拉致問題は再び注目されるのですが、それでも日本政府が本腰を入れるにはいたりませんでした。

朝日新聞

そんななかで1990年代から朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦問題について、たいした取材もせずに吉田証言を垂れ流す報道を続け、1999年8月31日の社説では「テポドン、一年の教訓」というタイトルで「人道的な食糧支援の再開など、機敏で大胆な決断をためらうべきではない」と前置きし、「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」という、拉致が「障害」であるとの表現をします。

野中広務

また1990年代後半には、北朝鮮との国交正常化を「ライフワーク」と語り、与党訪朝団(1997年)や、超党派訪朝団(1999年)の事務局長を務めた、自民党の元幹事長野中広務が「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが、(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった。近くて近い国にしたい。日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。壁を破ってでも食糧援助をすべきだと思って環境整備をしている」と述べ、「隣国が困っているのに援助せず、心を通わせないで、拉致疑惑をはじめとする問題が解決するか」とも述べて食糧援助を続けましたが、北朝鮮はこうした援助をバックに軍備増強を重ねていっていることは言うまでもありません。

そんな野中広務は、2002年の小泉訪朝後に「いくたびかあの国と交渉しながら、時、利あらずして(被害者を)救出できなかったことは申し訳ない」という、自身のとった行動は間違いではないが「時勢を得られなかった」ために成果が出せなかったという意味にとれる弁を述べています。

土井たか子

1987年に訪朝した日本社会党委員長の土井たか子は、故・金日成から「スケジュールはきつくありませんか」と尋ねられて、「いいえ、自分の家に帰ったようです」と答えたという報道がされていますし、小泉訪朝によって拉致があかるみにでるまでは、一貫して「拉致という事実はない」、「拉致は創作された事件」と言い放っていましたし、1989年には、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を求めるという趣旨の要望書が、当時の土井を含めて日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員133名の署名とともに韓国政府へ提出したのですが、この政治犯のなかには、拉致共犯者などが複数含まれていたため、2002年当時、官房副長官であった安倍晋三氏から、土井は「極めてマヌケな議員」と名指しされ、また日本共産党からも激しく批判されることになり、次回の選挙では落選しています。

その他と東京大学の教授

こうしてあげてきた事例は、ほんの一部分であり、2002年の小泉訪朝以前は、朝日新聞を筆頭に「拉致問題」にたいして、捏造という立場をとるメディアも多数ありましたし、アジアの大使や外務省の幹部たちのなかにも、日朝関係への配慮から拉致にたいして否定的見解を述べる者や、被害者家族の口をふさごうとする者もいました。

さらには、東京大学という有名大学の教授のなかにも「横田めぐみさんが拉致された断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである。そういう情報が韓国情報機関から流れているのなら、拉致されたかもしれないという疑惑が生じうるという以上の主張は導き出せないと思われる」と述べたり、「先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、まず、この事件の解決が先決で、それまでは食糧援助をするべきではないと申し入れた。これに私は怒りを憶えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ」と述べる者もいたほどです。

このように、日本のコメ援助や国際援助が、北朝鮮の子どもに渡っていると本心から信じ、日本人の人権にたいしては無関心なのに、他国の人権には声を大にして叫ぶという、よくわからない学者さんたちも存在しています。

きっと、こういったことへの不満が、故・横田滋氏の遺族会見でなされた息子さんたちの発言にあらわれていたのでしょうが、日本の一部大手メディアは、拉致問題が報道された初期と同様に、スルーするという選択をしたということでしょね。

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