「トゥキディデスの罠」とは、古代アテナイの歴史家だった、トゥキディデスにちなんでいる言葉で「戦争が不可避な状態にまで、従来の覇権国家と、新興の国家がぶつかり合う現象」をさしています。
この言葉は、ハーバード大学ケネディ行政大学院の初代院長で、政治学者だったグレアム・アリソンによってつくられた造語です。
「ペロポネソス戦争」へのトゥキディデスの考察
今から2400年以上も前に、古代アテナイの歴史家だったトゥキディデスは「ペロポネソス戦争」について、「戦争を避けられなかった原因は、強まるアテナイ(新興勢力)の力と、それに対するスパルタ(支配勢力)の恐怖心にあった」と記しています。
トゥキディデスは、国家間の大戦には、新興勢力側と支配勢力側の2つの力が働いていることに着目しています。
新興勢力側は、国力が高まるにつれ、自信を持つようになりますので、今まで以上に、発言権と影響力を持とうとします。
一方で、支配勢力側は、パワーバランスの揺らぎに不安感を抱き、なんとしてでも、支配構造の現状を維持しようと努めます。
当時のアテナイは、文明国としての発展を急速に進めていて、哲学、歴史叙述、演劇、建築といった文化面での発展を遂げ、政治は民主的におこなわれ、海軍力を高めていってました。
こうしたアテナイの台頭にショックを受けたのが、ペロポネソス半島最強の陸軍力を誇る、覇権国家であったスパルタです。
新興勢力のアテナイは、自国の影響力が増して自信がついたので、過去に受けた屈辱を晴らすためにも、これまでの取り決めを見直し、最新のパワーバランスを反映したものにするように求め、これに対してスパルタは、アテナイが繁栄できたのも、スパルタが築き上げたシステムのおかげであり、アテナイがそのシステムを崩すことになれば、アテナイの繁栄も危うくなると考えていました。
このように支配勢力のスパルタからは、アテナイは恩知らずなだけでなく、非合理的にもみえていました。
その後、この二か国は、相手より大きな勢力を保つために、相次いで他の都市国家と同盟を結びます。
そして、それぞれの同盟国だった、都市国家のコリントスとケルキラの間で紛争が勃発し、それぞれの同盟国だった、アテナイとスパルタはこれに引きずられ形で参戦しました。
こうして開戦した「ペロポネソス戦争」は、30年にもわたってつづき、一応の戦勝国はスパルタでしたが、戦争が終わった頃には、スパルタとアテナイ両国ともに、疲弊しきってしまいましたので、マケドニアの台頭を許すこととなりました。
「第一次世界大戦」とトゥキディデスの罠
第一次世界大戦が始まる8年前、イギリス国王エドワード7世は、英国の首相にたいして「なぜイギリス政府はドイツに対して非友好的に振る舞っているのか」と問いかけました。
イギリス国王エドワード7世からすれば、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は、従兄弟の関係にありましたので、ドイツよりもむしろ、アメリカに注視すべきだと考えていたのです。
この問いにたいしてイギリス政府の答えは、ドイツは「政治的な主導権と海運の支配力」を獲得しようとして行動しているが、これは「周辺諸国の独立、ひいてはイギリスの存在そのものを脅かすのか?」と問題提起したうえで、危機的状況を作り出しているのは、ドイツの「国力」だとし、ドイツの経済力がイギリスを上回れば、ドイツはヨーロッパで最強の陸軍を持つことになり、さらに「できるかぎり強力な海軍を作ろうとする」と答えました。
この3年後には、イギリス国王エドワード7世が死去したのですが、葬儀の喪主は、エドワード7世の後を継いでイギリス国王となるジョージ5世と、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世が務めました。
この葬儀で、米国から参列していたセオドア・ルーズベルトは、ヴィルヘルム2世に、英独間の建艦競争を一時停止するつもりはないかと尋ねたのですが、ドイツ皇帝の答えは「ドイツ海軍強化という目標は、絶対に変えられない」というものでした。
しかし、ヴィルヘルム2世は「私はイギリスで育った歳月が長く、自分の一部はイギリス人だと考えております。私にとってドイツの次に大事な国は、ほかのどの国よりも英国なのです」と話し「私は大のイギリス好きですしね」と付け加え、英独間で戦争など起きるはずがない、との考えを示しました。
当時のイギリスとドイツは、お互いの国の文化的なつながりを深く感じていましたし、イギリスとドイツの経済は、相互依存状態にもありましたので、たしかに両国間で戦争が起きるとは、想像しにくかったのかもしれません。
しかし、古代ギリシャのように、それぞれが分かれて結んでいた「三国協商」と「三国同盟」を中心とした同盟関係が複雑に拡大していき、やがて同盟国同士が起こした事件(サラエボ事件)から、世界大戦へと発展してしまいました。
「米国」と「中国」の開戦率は75%?
日本も参戦した「第二次世界大戦」も、支配勢力側の連合国と、新興勢力側の枢軸国が戦った戦争ともいえます。
ハーバード大学の教授が、覇権をめぐる争いを、過去500年間にさかのぼって分析した結果では、新興国が覇権国の地位を脅かしたケースは16件あり、このうち戦争まで行きついたケースは12件もありました。
つまり、台頭する新興国と、守りに入る覇権国の衝突がいつしか「引くに引けない」状況に追い込まれて戦争に突入する確率は「75%」ということになります。
200年前にナポレオンは「中国は眠らせておけ。目を覚ましたら、世界を震撼させるから・・」と警告してくれていましたが、もう何年も前に中国は目覚め、世界のパワーバランスを崩しはじめています。
第二次世界大戦後、アメリカ主導によるルールで、国際秩序が構築されたきた結果、70年にもわたって大国間同士での戦争が起こっていない時代が続いてきました。
そのため、現代人のほとんどは、戦争がない状態が普通だと思っていますが、この状況を歴史家にいわせれば、これは史上まれにみる「長い平和」の時代だそうです。
そして現在の中国は、アメリカ主導で築いてきた国際秩序を覆そうと、途上国や新興地域へ経済支援と技術支援を中心に、勢力を拡大していっていますし、「一帯一路構想」を掲げて、ヨーロッパまでも経済圏に取り込もうとしています。
たいしてアメリカは、この中国の経済拡大に歯止めをかけるため、関税を中心に「貿易戦争」をしかけました。
そして、現在は世界中で「新型コロナウイルス」の感染拡大という大問題が発生し、この発生源を巡っても、米中は対立をしています。
アメリカのトランプ大統領は、習近平国家主席個人にたいしては「良い関係が築けている」としていて、今のところ批判はおこなっていませんが、覇権争いの歴史と見比べると、いったいどうなることやら・・。
今回の記事は、ここでおしまいです。
少し長くなってしまいましたが、読んでくれて、本当にありがとうございました。