今回は、現在の世界で今後の「世界覇権」を争っている「アメリカ」と「中国」についての記事です。
あくまでも「今後」ですので、各所に「誇張」や「なんでやねん!」とか「そんなわけないだろ!」っていうところが出てくると思いますので、気軽に読んでいただければ幸いです。

「米国」と「中国」の比較

経済について

名目GDP

まずは、一番手っ取り早い「国内総生産(GDP)」で見てみましょう。

2019年の「国際通貨基金(IMF)」が発表した「名目GDP」では、世界1位はアメリカの21.48兆ドルで、2位は中国の14.17兆ドルでした。ちなみに日本は3位で5.22兆ドルです。
しかし、物価水準を勘案して為替レートを調整した「購買力平価(PPP)」に基づく、国際ドルベースに換算すると、中国は26.75兆ドルで世界1位となります。

「モノ」の貿易

次は、世界経済と切り離せない関係である「貿易」で比較してみましょう。

2018年の「国際通貨基金(IMF)」データとなりますが「モノ」の貿易量で、アメリカは約4.2兆ドル(輸出は約1.7兆ドル、輸入は約2.5兆ドル)となっており、中国は約4.6兆ドル(輸出は約2.5兆ドル、輸入は約2.1兆ドル)となっています。

メキシコやカナダでは、圧倒的に対米取引量が多いのですが、オーストラリア、ロシア、韓国などでは、対米取引量よりも、対中取引量のほうが多くなっています。

「サービス」の貿易

これは、運輸・通信・保険・金融などといった「サービス貿易」で比較してみます。

これも2018年のデータとなりますが、アメリカは1兆3943億ドル(輸出は8270億ドル、輸入は5673億ドル)で、中国は7594億ドル(輸出は2336億ドル、輸入は5258億ドル)となっています。

アメリカは、旅行・金融・特許関係が三大収益源としていて、中国は、旅行関係で世界の観光産業に影響を及ぼしています。

対外直接投資

2018年の時点で、アメリカと中国の対外直接投資残高を比較してみますと、アメリカが6.5兆ドル、中国が1.9兆ドルとなっています

簡単な数字の比較では、アメリカが圧倒的に勝ってますが、アメリカの投資先は主に先進国となっています。
一方、中国は「一帯一路」構想の推進もありますし、親中の途上国やアフリカ大陸などでも、影響力を高めていっています。

軍事力について(2018年のデータ)

国防費

アメリカの国防費は、2018年度会計で、6390億ドル(約70.3兆円)でした。

中国は、2018年の公表値で、約1750億ドル(約19.2兆円)となっていますが、実態は、最低でもこの1.5倍の、約2600億ドル(約28.6兆円)はあるとみられています。

総軍事力

アメリカの正規軍は、約138万4000人で、中国は、約203万5000人ですが、これは中国の陸軍兵の数が異常に多いためですし、習近平国家主席も、これからは陸軍を中心に兵の削減をすると言っています。

核兵器の保有数では、アメリカが、約6450基で、中国が、約280基です。ちなみに世界一の保有数を誇るのはロシアで、約6850基です。
そして大陸間弾道ミサイル(ICBM)や、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)では、質・量ともにアメリカが圧勝しているといわれています。

世界のどこからでも攻撃可能な潜水艦の保有数では、アメリカが68隻、中国が62隻ですが、アメリカは、すべての潜水艦が原子力潜水艦であるのにたいし、中国の原子力潜水艦保有数は13隻です。

空母では、アメリカの保有数は11隻で、すべてが原子力空母となっており、空母1隻につき戦闘機70機以上を搭載できますので、アメリカの空母1隻は、中小国の空軍に匹敵するといわれています。
そして、空母は単独での行動はせず、巡洋艦や駆逐艦、潜水艦を数隻ずつ従え「空母打撃群」を編成していますし、常にこの打撃軍が、3から4つほど世界の海に展開されています。
たいして中国の保有する空母は、艦載機40機ほどの「遼寧」1隻となっていますが、現在は、原子力推進2隻を含む計3隻の空母を建造中です。

戦闘攻撃機の比較では、アメリカの保有数は1310機で、第5世代のステルス機も140機以上保有していますし、ほとんどは第4世代以降のものとなっています。
たいして中国は、保有数では1725機とアメリカを上回りますが、ほとんどは、1950年代にソ連が開発したものを、もとにしていますし、第4世代以降の保有数では700機ほどであり、第5世代にいたっては、年間5機の生産が目標としています。

このように、現行戦力の単純比較では、アメリカが圧勝となりますが、中国は現在、最先端のコンピューター技術と、多額の資金を投入し、アメリカに追いつけ追い越せと「国策」としてやっていますので、これが10年後には、形勢が逆転する可能性は十分にあります。

日本は「カルタゴ」なのか?

カルタゴとは、紀元前にアフリカ大陸の北岸を中心に、絶対的平和主義を掲げ、貿易に専念して経済大国になった国家です。
カルタゴの民は、指揮官を除いて兵役にはつかず、カルタゴ軍は、基本的に傭兵で構成されていました。

カルタゴは、ローマ(後のローマ帝国)と3回の戦争(ポエニ戦争)をおこない、3回ともやぶれました。
とくに、紀元前202年の第二次ポエニ戦争では、英雄ハンニバルひきいるカルタゴ軍が、致命的な敗北を喫しています。

この第二次ポエニ戦争で敗れたカルタゴは、ローマから「領土の没収、武装解除、自衛を含む対外戦争の禁止、銀1万タラントを50年に分けて支払う賠償金」という、過酷な要求をつきつけられ、500隻の軍艦が、市民の目の前で焼き払われました。

しかし、こうしてローマの属国となったカルタゴは、良質な農作物を中心とした貿易に専念し、豊かさを取り戻しました。
そして、宗主国ローマが戦争をおこなうたびに、小麦など食糧を大量に提供して経済協力をしました。

あるとき、カルタゴの使者が、ローマ元老院で「わがカルタゴ人は、ローマ人とともに3の王と戦った。マケドニアのフィリップス王、シリアのアンティコス王、マケドニアのペルセウス王……」と演説しましたが、ローマ人から「血も流さずに何を言うか!」と、たちまち非難と嘲笑を浴びます。

1995年の湾岸戦争時、日本は多国籍軍の一員として1兆3000億円の資金援助をしましたが、世界から感謝も尊敬もされませんでした。

紀元前150年にカルタゴは、隣国ヌミディアから侵略をうけ、これにカルタゴ市民は反撃しました。
これを(自衛を含む対外戦争の禁止の)条約違反とみなしたローマ軍は、カルタゴに大挙して侵攻し、第三次ポエニ戦争が起こりました。

当時のカルタゴでは、貿易によって豊かになった市民は、パレスティナの死海から採られた、高価なタールを屋根に塗っていたこともあり、街は17日間も燃えつづけたそうです。
こうして、非武装だったカルタゴは滅亡し、市民はローマの奴隷とされ、豊かだった農地には、作物が育たないように塩がまかれました。

絶対的平和主義は「美しい理想」ですが、あまりにも「無責任」ともいえるのではないでしょうか。

ローマ衰退のはじまり

中間層が支えたローマ

ローマでは「兵役は市民の義務であり誇りである」と謳われていました。

カルタゴと戦争をする以前、ローマの農民は、気候や風土に恵まれていましたので、特産物のぶどう酒とオリーブ油をユーラシアの内陸部へ出荷し、その代わりに大量の穀物や貨幣を手にするようになっていて「中小農民」と呼ばれる富裕な暮らしをしていました。
そして、槍や鎧などの武具を自費でまかない、重装歩兵として兵役につき、他国を圧倒していました。

戦争の主力として活躍する「中小農民」は、平民として政治的な発言力を強めていき、護民官という貴族に対抗する役職を設け、(平民の代表である)民会の決議が、元老院の承認を経なくても、国法になることを定めた「ホルテンシウス法」まで制定させました。
こうして、貴族に代わって平民が、ローマの政治の中心になっていったというわけです。

ローマの裕福な中小農民は、モノの買い手として経済を活性化させ、税金の担い手としてローマ財政を潤沢にしていました。
このように、現代の中間層ともいえる人たちによって、当時のローマは支えられていました。

中間層の崩壊

紀元前264年、カルタゴへの侵攻から始まった「ポエニ戦争」は、第一次・第二次と長期間に及ぶこととなり、兵役にでていたことで耕せなくなった農地は荒れていきます。
そして、多くの中小農民は、蓄えが底をつき、生活のために借金をし、貴族や騎士に安い金額で先祖代々の土地を売らざるをえなくなります。

「第二次ポエニ戦争」の勝利によって、カルタゴを属国にし、領土を急拡大したローマは、新しい領土を、貴族や騎士といった富裕な市民に法外な安値で貸し、捕虜とした敵兵を奴隷にして土地を耕させました。

こうしてローマには、大量に安価な農作物が流入し、ローマ国内の中小農民は、さらなる苦境にたたされます。
このような状況下で借金に耐え切れなくなり、さらに農地を手放す中小農民が増加していき、そして貴族たちは、買いたたいて手に入れた農地を奴隷に耕させました。
このせいで、ローマ国内産の農作物までもが値崩れを起こし、踏ん張っていた中小農民も土地を手放すことになり、中産階級としてローマを支えた平民であった中小農民は、小作人や下層民である無産市民へと格下げされていきました。

結局はこれが「格差拡大」を生み出し、ローマ社会は国家の分断の危機に直面し、ローマの暗黒時代である「内乱の1世紀」の始まりとなりました。

広がりはじめた格差に歯止めをかけようと、貴族や騎士による国有地の借り受け面積を制限して、無産市民になった農民たちに土地を分け与えるという、改革案も出されたのですが、支配階級の猛烈な反対に遭い、各地で無産国民や奴隷たちを私兵とした貴族たちのあいだで、内戦が繰り返されました。

そしてローマは、共和政から帝政へと移行します。
選挙によって統治者を決める共和政から、皇帝から皇帝へ支配権を移譲する帝政へと移行したのは、支配者階級から貧民にいたるまでが、内乱で疲弊し「もう争いはたくさんだ」と考えるようになっていったからです。

西ローマ帝国の滅亡

帝政に移行した「ローマ帝国」には平和が訪れましたが、ローマ帝国領内での格差は絶望的なほど広がり、中間層の消滅によって、軍事や経済の弱体化に歯止めがかからなくなっていきました。

このため、中小農民で構成されていた重装歩兵部隊はなくなり、ローマ帝国は兵力を傭兵(アウトソーシング)に頼るようになっていきます。

212年には、ローマ市民を増やすことで税収を増やしたい、あるいは、市民を増やすことで軍を強化したいという目的から「アントニヌス勅令」が出されましたが、これにより、「属州民がローマ市民となるには、退役を全うしなくてはならない」という制約がなくなり、ローマ領内のすべての自由民がローマ市民権を有することになりました。

この勅令は意図に反して、頑張らなくても市民権を得て、富を享受できることから、軍に好き好んで参加しようというローマ市民はさらに減ってしまいました。
そして決定的に失敗したのが、傭兵を潜在的な敵である蛮族(未開の民族)から採用したことです。

476年に、西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルは、西ローマ帝国の傭兵隊長でした。

現在の米中関係との重なり

新自由主義のアメリカや西側諸国では、格差の広がりが社会問題になっています。
そして、格差問題の是正がなければ、ある一定のラインを超えるとローマのように不満が一気に爆発するのかもしれません。

現在のアメリカ軍が、傭兵を使用するは一部の事柄に限られています。
しかし、企業のアウトソーシングや、中国人の雇用による、技術情報漏洩という面では、中国の大国化に寄与している部分もあります。

中国が第5世代の戦闘機を開発するのに、アメリカ軍へサイバー攻撃を仕掛けて、一部情報を抜き取ったともいわれていますし、5GやAIなどの技術では、中国人留学生によって、アメリカから中国に流れています。

安い労働力によって生産された、商品や農作物などを大量に輸入していると、自国の同種産業が全体として弱っていくのは必然です。
輸入や、それに関連した者たちは潤うのでしょうが、国内産業が弱っていけば、格差の拡大に繋がっていきますし、まわりまわって自分の首すら絞めることになりかねません。

アメリカ合衆国は、誕生してからおよそ250年です。
共和政ローマでも約500年間続き「自分たちの成功が永遠」と思っていたでしょうが、衰退してしまいました。
「平家物語」で詠まれている「盛者必衰の理(栄えた者も必ず滅びるという道理)」は、まさに歴史が証明しています。
一時は、地球上の陸地の25%を支配した「モンゴル帝国」も衰退しましたし、東ローマ帝国などを滅ぼし、現在のトルコがある地域を中心に、600年以上も栄えた「オスマン帝国」にも終わりは訪れました。

アメリカや投資家が、目先の利益ばかりを優先しすぎると、虎視眈々と世界の覇権を狙う中国に、足元をすくわれる日がやってくるのかもしれませんね。

今回の記事は、ここでおしまいです。だいぶ長くなってしまったと思いますが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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