ウィキリークスとは、匿名による内部告発や、機密情報の公開を専門とする、告発サイトです。

創始者、ジュリアン・アサンジ

オーストラリア出身のジャーナリストで、インターネット活動家です。
1987年の16歳の時に「Mendax]という名で、コンピューターハッキングを始めました。そして、他の2人と組んで「International Subversives(国際破壊分子)」というグループを結成して活動しました。
その頃、初期のルールでは「侵入するコンピュータのシステムを破壊してはいけない(クラッシュさせることを含む)」「システムの情報を書き換えてはいけない(侵入の形跡ログを消す場合を除く)」「情報を共有する」などがありました。

その後も、ハッキング行為をおこなっていましたが、1991年にはオーストラリア連邦警察の捜索をうけ、翌1992年には、24のハッキング容疑を認め、2100オーストラリアドル(当時のレートで約19万5千円)を支払って保釈されています。

1993年からはプロバイダーサービスの立ち上げをおこなったり、フリーソフトの開発をメルボルンでおこないながら、メルボルン大学で、物理学と数学と神経科学を学びましたが、卒業はしていません。

2007年1月までウィキリークスは、ウェブサイト、また活動や存在そのものも秘密にされていました。
しかし、2007年1月に発表された記事で、セキュリティ・ニュースの編集長に、ウィキリークスの運営組織に加わるように要請をしたことによって、その存在は初めて明らかにされました。

ウィキリークスの投稿システム

ウィキリークスでは、投稿された情報(匿名の機密情報)の重要性を、数人のスタッフが吟味し、協力関係にあるジャーナリストたちに、裏付け取材を要請しています。
あるいは、協力関係にある各種専門家たちに、情報の真偽や価値を調べてもらっています。
そして、最終的には創業者で編集長のジュリアン・アサンジによって公表するか否かの判断がされます。
公表する場合は、スタッフか協力ジャーナリストが説明記事を書いて、提供されたリーク情報の原本を添付しています。

このシステムにたいして、批判的な各国の大手メディアは「このようなシステムは、ウィキリークスが主張しているだけであり、証明も検証もできない。このために、偽情報などが広まってしまうリスクを潜在的に含んでいる」としています。
しかし、これまでウィキリークスがおこなった暴露情報のなかで、明らかに偽情報だったり、政治的な誘導情報だったりした例は見つかっていません。

ウィキリークスによる主な告発

イラク戦争民間人殺傷動画公開

2010年4月、ウィキリークスのサイトで、2007年7月12日、イラク駐留アメリカ軍ヘリコプターが、イラク市民やロイターの記者を銃撃し、殺傷した事件の動画が公表されました。
2010年5月、米軍諜報アナリストとされる軍人が、この動画と外交機密文書約26万件を、ウィキリークスに提供したことが発覚し、この軍人は逮捕されました。

アフガニスタン紛争関連資料公開

2010年7月25日、ウィキリークスがサイトにて、アフガニスタン紛争に関するアメリカ軍や情報機関の機密資料約75000点以上を公表しました。提供された資料は9万点以上に及ぶとされています。
これは2004年から2009年にかけての記録で、パキスタンの情報機関「ISI」とアフガン武装勢力との関係や、未公表の民間人死傷案件、アフガン側のアメリカへの情報提供者の身元情報が含まれていました。
これに対して、アメリカのロバート・ゲーツ国防長官はFBIに捜査協力を要請し、国防総省内の内部告発者のみならず、ウィキリークス側にも捜査の手を広げようとしました。

文章をリークした罪で、米国諜報員のブラッドリー・マニング(22歳)は、告発されて降格かつ不名誉除隊となり、35年の禁固刑が言い渡されています。

イラク戦争米軍機密文書公開

2010年10月22日、イラク戦争に関する米軍の機密文書約40万点をウィキリークス上で公開しました。
ウィキリークスは声明で「民間人が検問で無差別に殺されたとの報告や、連合軍部隊によるイラク人拘置者への拷問のほか、屋根に反政府勢力と疑わしい人物が1人いるという理由で、米軍兵士が民間施設を丸ごと爆破した報告がある」としています。

国防総省のモレル報道官は「ウィキリークスが、法律に背いて情報を流出させるように個人に働きかけ、傲慢に機密情報を世界と共有することを遺憾に思う」とコメントしています。

アメリカ外交公電ウィキリークス流出

2010年11月29日より、米国外交機密文書約25万点の公開を開始しました。
それには、公式では公開されることのなかった外交公電や、世界中の重要施設についての情報などが含まれており、当初は少しずつ文書を新たに公開していくという手法をとっていましたが、2011年9月2日にすべての文書を未編集のまま全公開しました。

「主な内容」

  • ドイツ
    アメリカは、武装勢力と間違え、ドイツの一般男性を拉致したCIA係官に、逮捕状を発布しないようドイツ側に「脅すつもりはないが、対米関係の影響を見極めるべきだ」と警告しました。
  • 北朝鮮
    北朝鮮は、モンゴル政府との協議で、中国とロシアを繰り返し批判していた。
    ミャンマー軍事政権に、核やミサイル施設建設で協力していた疑惑を示す複数の証言。
    海底に新たな核施設があるとの情報。
  • イラン
    北朝鮮から中距離弾道ミサイル19基を入手
  • アメリカ
    ヒラリー・クリントン国務長官が、各国外交官のクレジットカード番号等の収集を指示
    国務省が2010年2月17日、欧州連合各国のアメリカ大使館に対し、EUの対中国武器禁輸措置の解除の動きを、阻止するよう指示していました。

これら以外にも、多数の機密情報やオフレコ発言の公開がされました。
そしてアメリカは「米国政府に対するサイバー攻撃」として全面戦争を宣言し、再発防止に向けて、国家安全保障会議に担当官を設けました。

CIAによるハッキング関係機密文書公開

2017年3月7日、アメリカ合衆国中央情報局(CIA)の、Microsoft Windows、iPhone、Android、サムスン電子製スマートテレビ等に対しての、ハッキング技術に関する機密文書が公開されました。
同文書によると、イギリスの保安局や政府通信本部も関わっているとされています。

アサンジの逮捕

外交公電ウィキリークス流出開始後の、2010年8月20日、スウェーデンで26歳と31歳の2人の女性と、彼の4件の性的関係に関連して、アサンジに対する捜査が開始され、逮捕状が発布されました。
しかし、捜査開始から間もなくして、主任検察官は逮捕状を取り下げ「彼がレイプをはたらいたと疑う、理由があるとは思わない」と語っています。
アサンジは、自身に対する非難を、ウィキリークスの敵対者たちによる「でっち上げ」だとしています。

しかし、スウェーデン当局上層部は納得せず、2010年11月20日、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて、アサンジを国際指名手配しました。
そして、アサンジは12月7日に、ロンドン警視庁に出頭し逮捕されましたが、保証金24万ポンド(約3000万円)や、パスポートの没収を条件に保釈が許可されました。

2012年6月、性的暴行容疑でスウェーデン移送が決定されると、アサンジは移送を回避するために、反米左派政権のエクアドルへの亡命を目指し、ロンドンの駐英エクアドル大使館に、政治亡命を申請し保護をうけます。
そして、エクアドル大使館に滞在中に、米国家安全保障局の元契約職員エドワード・スノーデン容疑者の支援をおこないました。

2019年4月11日に、エクアドル政府が、アサンジの亡命の受け入れを撤回したので、イギリス警察によって逮捕されました。
5月1日、ロンドンの刑事法院は、保釈中に出頭しなかった罪で、禁錮50週(約11カ月半)を言い渡しました。
そして、アメリカ合衆国に引き渡されると、最高で禁錮175年が言い渡される可能性があります。

現在のウィキリークスは、中華人民共和国の反政府主義者と、台湾、欧米、オーストラリア、南アフリカのジャーナリスト、数学者、ベンチャー企業の技術者によって運営されています。

ウィキリークスのページはコチラです。

以上で今回の記事はおしまいです。
現在の世界的話題は、新型コロナウイルス一色ですが、発生源が「中国の研究施設」とか「アメリカ軍が持ち込んだ」などと、お互いが舌戦していますが、こんな時こそ、ウィキリークスが機能してくれれば、正しい情報を知ることができたのに・・・などと思ってしまいます。

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