前回の記事では「第一次世界大戦後」の主要国について書きました。今回もその続きになります。

世界恐慌

世界恐慌は、1929年から1930年代後半まで続いた、世界的経済の大不況のことです。
これは、1929年から1932年までの、たった3年間で、世界のGDP(国内総生産)を15%も減少させました。
そして多くの国は、この世界恐慌の影響をうけたまま、第二次世界大戦へと向かいます

世界恐慌への対応

アメリカ

狂騒の20年代

第一次世界大戦後のアメリカは、好景気にわいていました(狂騒の20年代)。これは戦時中から続く、製造業・自動車産業や輸出産業、そして内需の好調がありましたが、連合国側に貸し付けた戦債(軍事国債)の影響があります。

そして、アメリカ人にとって好景気は、仕事を増やし、収入を安定させ、消費を拡大させていき、投資も活性化させていきました。
さらに、再建途上にあったヨーロッパを含む、世界中の投資家たちが、アメリカの株を買いまくりました。

しかし、繁栄の時代に、かげりが見えはじめました。これは、1929年の6月頃から起こりはじめます。
まずは、アメリカや世界中の投資家たちに、湯水のように注ぎ込んでいた資金を「回収できなくなるのではないか」という不安が広がっていきました。

ウォールストリート崩壊

1929年の10月24日木曜日、ニューヨーク証券取引所(ウォール街)で投資家たちに「損する前に、売ってしまえ!」という行動が、いっせいに起こりました(ブラック・サーズデー)。
混乱をみせるウォール街では、さらに同月の28日月曜日(ブラック・マンデー)、29日火曜日(ブラック・チューズデー)に、壊滅的な下落が発生します。

この影響で銀行が倒産していきました。
そしてウォール街には、世界中からの投資が集まっていたので、影響は世界中に広がっていきました(世界恐慌)。

ハーバート・フーヴァー大統領の対応

フーヴァー大統領は、世界恐慌の原因は、貿易不振という判断をしました。
そこで、貿易産業を復活させるために「フーヴァーモラトリアム(連合国側からアメリカへの債務返済に1年猶予を与えるとともに、ドイツによる連合国側への賠償支払いにも1年の猶予を与える)」を提唱しました。
そして、増税によって税収を増やそうとし、関税を引き上げる法案(スムート・ホーリー関税法)を通します。

アメリカの関税引き上げは、貿易相手国にも関税引き上げで対抗されるという報復を招き、貿易産業はさらなる落ち込みをみせ、大失敗に終わりました。

当時のアメリカでは、重工業・製材業・輸出業がとくに不振となり、1932年までには、失業率が23.6%に達しました。

ニューディール政策

ニューディール政策とは、フーヴァーの次に大統領に就任した、フランクリン・ルーズベルトが、世界恐慌を克服するために実施した、経済政策のことです。

ルーズベルト大統領は選挙期間中に「ニューディール」という用語をつくりました。ニューディールの基本理念は「救済・回復および改革」であるとしています。

ちなみにですが、
この選挙期間中(1932年)に、モルガン財閥の創始者ジョン・モルガンの息子である、ジャック・モルガンが、1929年にインサイダー取引をおこない、上場・公開前株をまとめて、仲間に安く売っていたことが、スクープされました。
1株20ドルで、モルガンから購入した仲間たちは、市場に35ドルで売却していました。
そして、その仲間たちに名を連ねたのが「カルビン・クーリッジ(第30代アメリカ大統領)」「ウィリアム・ウッディン(ルーズベルト政権の財務長官)」「チャールズ・リンドバーグ(大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した飛行家)」たちでした。
リンドバーグはいいとしても、クーリッジは大統領期間中ですし、ウッディンはそのあと財務長官です。アメリカは、日本と違い「実力さえあればスキャンダルなど関係ない」といったとこでしょうか。

1933年に実施された、ニューディール政策は、それまでのアメリカ歴代政権の経済政策を180度かえました。
市場への政府の介入も、経済政策も、限定的とする自由主義経済政策から、政府が市場経済に、積極的に関与していく政策へと転換したのです。
ケインズ理論を取り入れたと言われる場合がありますが、(イギリスの経済学者)ケインズの著書の出版は1936年です。
そして、1933年には立ち直りをみせていた、日本の高橋是清が考案した政策「時局匡救事業(景気対策を目的とする公共事業)」と大半の部分で共通しています。
ということは、高橋是清は「日本のケインズ」と呼ばれていますが、正確にはケインズが「イギリスの高橋是清」ですね。

前置きが長くなってしまいましたが、それでは主要な体策をみていきましょう。

①農業調整法
農業の生産量を制限し、過剰生産物は政府が責任をもって買い上げるなどして、農産物の価格を安定させ、農民の救済と購買力回復を目指した法案です。

②テネシー川流域開発公社の設立
テネシー川流域の総合開発を目的として設立され、失業率対策として実施された、アメリカ政府による公共事業をおこなう機関です。
多数のダムを建設したほかにも、植林などの複合的な事業を展開していきました。これらは事業は、新たな雇用の創出だけにとどまらず、地域の活性化や電力供給の安定化なども実現しました。

③全国労働関係法(ワグナー法)
労働者の権利を保護する目的で制定された法律です。これにより労働者の「団結権」「団体交渉権」「ストライキ権」などが認められるようになりました。

④大統領令6102号発令(金本位制の停止)
政府は、アメリカ市民に対し、保有する金を平価(1オンス=20.67ドル)で強制的に搬出させ、市民の金保有を禁じました。これは当時、金本位制のもとでは、紙幣が金保有高に制限されてしまうため、インフレ政策が取れなかったための措置でした。

これらの政策が、功を奏したのかどうかは、経済学者・経済評論家・政治評論家などによって、評価が分かれますので不明ですが、実質GDP(物価変動影響なしの指標)は1929年の値を、1936年に上回ったのは事実です。

しかし、アメリカの名目GDP(物価変動影響ありの指標)と失業率の数値が、1929年(世界恐慌はじまりの年)よりも、成長・回復したのは「第二次世界大戦」が開戦してからです。これも事実です。

イギリス

世界恐慌のあおりをうけて、シティ・オブ・ロンドン(イギリスの金融中心地)の債権は焦げつきました。
まずは投資が逃げていき、イングランド銀行には、自分の資産を少しでも守るために人が殺到しました。
ここで2つの報告書(マクミラン報告書・メイ報告書)が提出され、ポンドの安定とシティの権威を揺さぶりました。

マクミラン報告書

1929年、金融産業委員会(マクミラン委員会)が設置されました。

スコットランド出身の元裁判官である、マクミラン卿が座長となって、イギリスの経済実態を精査して、(経済学者)ジョン・メイナード・ケインズを主筆に報告書を作成しました。

マクミラン報告書の内容は、シティの資本がイギリス国内の産業に振り向けられず、海外投資へ傾いていたことを糾弾していました。

メイ報告書

1931年2月、メイ委員会が設置されました。

保険業界の重鎮だったジョージ・メイが座長となって、経済政策案を提示することになったのです。

作成されたメイ報告書では、財政収支展望と、抜本的な歳出削減案の必要性を強く唱えました。

金本位制の停止

先ほどの2つの報告書に、世界の投資家と内外の世論が独自に解釈を与えだしました。

ポンドは国内へ投下されないから、この価格を伝統的なデフレ政策で支えても、財政赤字を免れないというのである。この流れによって、金本位制の崩壊は時間の問題となってしまい、空前の金流出がおこりました。

ついに1931年9月21日、ポンドと金の交換を停止、いわゆる金本位制の放棄をおこないました。
そしてイギリスが、金本位制を放棄したのをきっかけに、金本位制を放棄する国が続出しました。
1937年6月に、フランスが放棄したのを最後に、国際的な信用秩序としての金本位制は停止しました。

ちなみに
1937年5月12日、ウェストミンスター寺院で、国王ジョージ6世の戴冠式が執り行われました。
日本の皇室からは、昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王と、同妃勢津子夫妻が参列しました。
そして、この4年後に、日英開戦し両国は戦争状態に突入することになります。

第二次世界大戦へ

このようにして、経済的に疲弊しイギリス帝国が、かたむきつつあるのは明らかでした。
イギリス首相のネヴィル・チェンバレンは、これらを背景にナチス・ドイツへの融和政策をとりつづけ、再軍備宣言の容認、ザール併合、オーストリア併合の容認など、ヴェルサイユ体制の崩壊に加担しました。

最大の戦争の危機に発展した、ズデーテンの帰属問題では、1938年のミュンヘン会談で、これ以上の領土の拡張を行わないことを条件に、ズデーテンの併合を認めたのですが、ドイツは無視して、ズデーテンの併合を皮切りに、チェコの併合、スロバキアでの傀儡政権の樹立などを実効しました。

イギリスでは、ミュンヘン会談での合意を完全に無視され、イギリス・フランスを軽視し、領土拡張を続けるドイツの行動の原因は、融和政策をとりつづけてきたネヴィル・チェンバレン首相にあるという声が上がってきました。
こうして、チェンバレン首相の評価は下がっていき、代わって融和政策に対して警鐘を鳴らし続けていた、ウィンストン・チャーチルへの待望論が高まりだしました。

今回の記事は、ここまでです。読んでくださった方「本当に、ありがとうございます」

もしよろしければ、こちらの記事もご覧ください。
「第二次世界大戦」開戦前①(WW1後のアメリカ・イギリス・フランス・ドイツ)

おすすめの記事