2012年の胡錦濤総書記引退後に、中国の第5代最高指導者の地位についた習近平は「腐敗撲滅」を掲げ、徹底的に党幹部や役人の汚職を取り締まり、中央や地方の権力者を続々と処分(ある意味粛清)していきました。
こうして目ぼしいライバルや、口うるさい年長者を排除していき、2018年3月には、国家主席と国家副主席の任期を2期10年とする制限を撤廃し、習近平思想を盛り込んだ中華人民共和国憲法改正案を賛成2958票、反対2票、棄権3票、無効1票で成立させます。
この改正案の成立によって、習近平による長期政権、ひいては生涯を通して国家主席の地位を維持することが可能となりました。
ちなみに、中国共産党の幹部の中に、叩いて埃の出ない者などいないといわれています。
中国では、ありとあらゆる全てのことに、中国共産党の支配がいき渡っているため、共産党幹部への賄賂がはびこっています。
その賄賂の額も日本とは比べ物にならないほどの額であり、数億円から数十億円は当たり前で、ある逮捕された中国共産党幹部が所持していた不正蓄財の額が2兆円だったという事件もありました。
少し前に、IR法案のカジノ誘致の件で日本の政治家が100万円とか300万円とかを受け取っていた事件がありましたが、中国側としては、謝礼のつもりであり、(中国共産党の幹部なら誰もなびかないほど、あまりにも額が低いため)本当に賄賂とは考えてなかったとも言われています。
共産党エリートの家庭に生まれた習近平
1953年に、中国の陝西省で生まれた習近平の父親は、習仲勲という中国共産党の元幹部です。
そして習仲勲は、毛沢東政権時には副総理にまで就きましたが、文化大革命時に失脚してしまいます。
しかし、その後は復活し、幹部の中でも強い権力をふるった中国共産党の長老集団「八大元老」のメンバーとなり、1988年には全人代常務委員会副委員長にまで出世しています。
習近平は、父親が文化大革命で失脚したことによって、恵まれた子供時代に終わりが告げられます。
そして「上山下郷運動(地方の農村で肉体労働を行うことを通じて思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした思想政策)」という運動によって、地方での労働に就くのですが、そこで共産党に入党し、模範的な労働者や農民、兵士の推薦入学制度を利用して、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学びました。
地方で共に働いていた労働者たちのあいだでは、穏やかな口調と温和な人柄で知られていたそうで、小説を好みマーク・トウェインやヘミングウェイのファンだそうです。
出世街道を突き進む習近平
1979年に清華大学を卒業した習近平は、各国大使を歴任し国務院副総理を務めていた耿飈の秘書となります。
1985年には、アメリカを視察で訪問して、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使となるテリー・ブランスタッドと親交を結びました。
習近平は、ブランスタッドを「旧友」と呼んでいます。
1998年から2002年にかけては、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得たのですが、海外の複数メディアから、論文の代筆疑惑が報じられています。
一方、共産党員としては、2000年には福建省長となり、2002年には浙江省の党委書記(党の方針を伝え、担当する機関の業務を党に報告することを目的に共産党から指名された代表者)に就任しました。
2006年には、上海市で大規模な汚職事件が発覚します。
この事件は「上海市社会保険基金事件」と呼ばれ、上海市の幹部と企業の役員多数が、社会保障基金を私的流用し逮捕・起訴された事件で、中央政治局委員が起こした、大きな腐敗事件であり、この事件で逮捕された上海市党委書記の者は、実業家からの賄賂を受け取っており、40億円の不正蓄財が発見されています。
こうして上海市党委書記が罷免され、2007年には習近平が上海市党委書記のポストに就任します。
この上海市党委書記というポストは、中国共産党の出世コースにはまっているポストのため、これにより、党中央政治局入りは確実視されることになり、同年の10月には「中央政治局常務委員(事実上国家の最高指導部)」にまで昇格するという「二階級特進」を果たします。
その後は、「中国共産党中央書記処常務書記」や「中国共産党中央党校校長」などに任命され、2008年3月には「第11期全国人民代表大会(全人代)」において、国家副主席に選出されることになります。
習近平国家主席の誕生
中国共産党には「太子党」と「共青団」と呼ばれる2大派閥が存在しています。
共青団は、若手のエリートが所属する中国共産党の青年組織であり、太子党は、中国共産党の高級幹部の子弟などで、特権的地位にいる者たちで構成されています。
習近平の前の国家主席である胡錦涛は、共青団の出身であり、習近平のライバルと見られていた李克強も共青団の出身でしたが、次期国家主席には太子党の習近平が有力視されることになります。
これは、習近平のほうが李克強よりも党内序列が上であったことや、習近平は軍事委員会にも身を置いていたため、人民解放軍との関係性も考慮された結果だといえます。
そしてついに2013年3月14日に開かれた「第12期全国人民代表大会(全人代)」において、国家主席と国家中央軍事委員会主席に選出されたことで、党と国家と軍の三権を正式に掌握し、翌日には、李克強を国務院総理(首相)に任命し、中国共産党の第5世代である「習・李体制」を本格的に始動させたのです。
ここからは、最初にも書いたのですが、「腐敗撲滅」を掲げ、徹底的に党幹部や役人の汚職を取り締まり、中央や地方の権力者を続々と処分(ある意味粛清)していき、国家主席の任期の撤廃までおこない、現在に至っています。