2011年に、北アフリカのチュニジアで発生した「ジャスミン革命」からはじまり、アラブ地域へと波及していった「アラブの春」と呼ばれる大規模な反政府デモは、40年以上にもわたってアサド親子による独裁政権が続き、人権に関して「世界最悪の部類」と言われていたシリアでも起こりました。

こうして「独裁政権にたいする抗議活動」というかたちで始まった反政府市民デモが、いつのまにか色々な思惑や対立が入り混じったことでかたちを変え、「シリア内戦」と呼ばれる、2020年現在も続いている泥沼の内戦へと拡大していったのです。
そして長期間の内戦状態は、難民問題という新たな問題を生み出しましたし、クルド人問題という民族問題の根の深さを浮き彫りにしていきました。

シリア内戦の主な勢力

政府軍

バッシャール・アル・アサド(以下アサド)政権は、ロシアやイランから強力な支援をうけていて、それ以外にもイランの影響下にあるとされる、パレスチナの「パレスチナ解放人民戦線総司令部」、イラクの「マフディー軍」、イエメンの「フーシ派」、レバノンの「ヒズボラ」などから軍事援助をうけています。

イランは、イスラム教シーア派のリーダー的存在ですし、アメリカ・ロシア・アラブ諸国など、ほとんどの国がフセイン政権を支援した「イラン・イラク戦争」において、アラブ諸国のなかで唯一イランを支援したのがシリアでしたし、反米・反イスラエル・反スンニ派など、共通点も多くあります。

デモにたいして軍事力をともなう強権にでたことで、シリア国内ではもちろんですが、アメリカを中心とした西側諸国からの反感も買い、様々な思惑をもつ反政府武装組織の台頭を許したため、とんでもない内戦へと発展させてしまいました。

基本的な構図は「政府軍」対「反政府武装組織」でしたが、ISILを掃討するときは「ISIL」対「政府軍と他の反政府武装組織」となり、一時的には西側諸国もアサドの退陣要求を引っ込めましたが、アサドの政府軍が化学兵器を使用したことで、アサドは再び世界中から非難の集中砲火をうけます。

しかも政府軍は、国際非難にさらされながらも100回以上にわたってシリア国内の反政府武装組織がいるであろう地域に、化学兵器による攻撃をおこないました。

自由シリア軍

反政府側の代表的存在です。
2011年7月に、シリア軍のアスアド大佐が離反し、自身が率いた政府軍の一部と、革命思想をもつ政府軍勢力、そして反アサドのスンニ派勢力を取り込んで結成し、アメリカ・トルコ・サウジアラビアなどからの支援をうけています。

しかし、反米・反イスラエルのシリア国民が多いため、多数のシリア国民は、自由シリア軍を支持していないと考えられています。

打倒アサドの本命として、反アサドを掲げる各国からの支援をうけ、政府軍と戦っていましたが、自由シリア軍によるキリスト教徒への迫害や教会の破壊行為が問題視され、アメリカからの支援を止められてしまいました。
その後、様々な情勢の変化により、2019年から3年ぶりにアメリカからの支援が開始されています。

ISIL(イスラム国)

ISILは、もともとは「イラクのアルカイダ」として結成され、そこにイラク戦争によって倒されたフセイン政権(スンニ派)の幹部や軍の生き残りが合流し、組織を急拡大させていった組織です(現在、本家アルカイダとは絶縁状態にあります)。

シリアが、政府軍と反政府軍による戦闘で破綻していくなかで、シリアの領土の一部を実効支配し、2014年6月に、シリア北東部の街「ラッカ」を首都とした、国家の建国を宣言しました。

当初は、シリアの70%を占めるといわれているスンニ派などから好意的にうけいれられ、反政府勢力として内戦に参戦していましたが、あまりの残虐性や傍若無人ぶり、そしてすさまじいスピードでの勢力拡大が、他の組織からの反感を買い、シリアのほとんどの武装組織を敵にまわしてしまい、壊滅させられました。

ロジャヴァ

ロジャヴァとは、シリアの北部から北東部にかけて広がる地域で、クルド人による事実上の自治区です。
2012年7月に、2つの主要なクルド人組織である「クルド国民評議会(KNC)」と「クルド民主統一党(PYD)」は共同で、クルド人の政治主体となる「クルド人最高委員会(DBK)」を設立しました。

ここの武装組織は、クルド民主統一党の武装部門である「クルド人民防衛隊(YPG)」と、アラブ人が多数を占める地域も支配するようになったため、クルド色を薄める必要性が出てきたことにより、YPGを中心に結成した「シリア民主軍」があります。

こちらの組織の真の目的は、クルド人による自治領の獲得にあるため、内戦初期は、西側諸国の支援をもとに、政府軍と戦っていました。
しかし、シリア民主軍によるラッカ(ISILの自称首都)制圧によって、ISILの掃討後、トランプ大統領がシリア領内からのアメリカ軍の撤退を開始させたことで、ロジャヴァはトルコ軍による攻撃をうけます。

トルコは、トルコ領内のクルド人が、シリアのような自治領獲得に感化されるのを嫌がり、国境を接している地域でのクルド人の勢力拡大にも歯止めをかけたかったため、アメリカ軍が撤退した隙をついて(事前にアメリカとトルコで話がついていたともいわれています)、ロジャヴァにたいして軍事行動をおこないました。

そして、アメリカの支援を失ったロジャヴァのシリア民主軍は、トルコ軍に対抗するために、アサド率いる政府軍に協力を要請し、政府軍とロシア軍の支援をバックにつけています。

アメリカの支援組織の変化

内戦開始当初から、アサド政権の打倒を目指す反政府武装組織への援助をしてきました。

そのなかで、イスラム過激派のテロ組織「ISIL」が台頭してきたことによって、一貫して掲げてきた「アサド退陣」の要求は、一旦引っ込めて、打倒ISILを目指し、クルド人が中心となって組織している「シリア民主軍」に手厚い支援をします。

しかし、ISIL掃討という目的を達成したあとは、クルド人の勢力拡大を嫌がるトルコとの対立を避けるために、アメリカ軍を撤退させ、トルコ軍のやりたいようにやらせたため、クルド人たちからの反感を買い、アサド政権側に寝返られてしまいました。

そこで現在は、キリスト教徒や教会への暴力行為から疎遠となっていた「自由シリア軍」の支援をおこなっています。

大量の難民

シリア内戦による難民の数は、2019年の発表では約1300万人とされていて、そのうちの約560万人が国外へ脱出したとされています。

国外へ逃れた難民たちの多くが、トルコ、レバノン、ヨルダンなどの周辺国へと向かいましたが、安全なルートなどありませんので、飢餓や事故、戦闘の巻き添えや、国境封鎖などによっても、大量の犠牲者をだしています。
そして辿り着いた先の国でも、劣悪な環境下にある難民キャンプ生活を余儀なくされていますし、労働も賃金の安い単純労働に限られています。

さらに、シリアから逃れてくる大量の難民が、ヨーロッパに流入してきたことによって、EU各国では、治安の悪化、安い労働力の流入による失業率の増加などの問題が発生し、国によっては極右政党が支持を集めていく傾向がみられます。

確かにドイツのメルケル首相などは、難民の受け入れを頑張ってやっていますが、フランスの難民申請にたいする許可は厳しめですし、イギリスなんて難民受け入れ拒否が要因の一つとなってEUを離脱してしまいました。

しかし、アフリカ大陸やアラブ地域に、異なる民族や異なる宗教を無視して、直線の不自然な国境線を引いたのは、イギリスやフランスを中心としたEUの主要国だったわけですから、もう少し責任感をもって、この問題にあたってもらいたいものです。

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